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【セミナー実録】創立40周年記念全国ロービジョン(低視覚)セミナー


創立40周年記念全国ロービジョン(低視覚)セミナー
『技術の進歩と日本視覚障害者職能開発センターの40年』

日時 令和2年9月26日(土) 10:00~
場所 日本視覚障害者職能開発センター

※見出しには先頭に■(黒四角)をつけていますのでご活用ください。

■開会式

○中西 皆様、おはようございます。「創立40周年記念全国ロービジョン(低視覚)セミナー」の総合司会を担当いたします、国立障害者リハビリテーションセンター病院の中西です。よろしくお願いいたします。それでは、早速ですが、開会式をさせていただこうと思います。杉江常務理事から御挨拶をお願いいたします。

■開会挨拶

○杉江 皆様、おはようございます。感染予防の観点から、座ったままで御挨拶させていただきます。日本視覚障害者職能開発センターは、昨年10月に日本盲人職能開発センターから名前を変えまして、昭和55年創設者の松井新二郎先生が、日本で初めて通所授産施設として、この四谷の地に「東京ワークショップ」として開設して40年になります。その間、私どものセンターはテープ起こしを基盤にしながら、一貫して、事務系の仕事の職域の開発とその就労の支援に携わってきました。

 今回、創立40周年を機に、『技術の進歩と日本視覚障害者職能開発センターの40年』というテーマで全国ロービジョン(低視覚)セミナーを開催することといたしました。お陰さまで、リモートの参加者の締切人数を250名で設定し募集したところ、1週間前に250名を超えてしまい、急遽270名に増員し、最終的には全国から290名の方に参加していただくことになりました。非常に有り難いことだと思っています。そして、この会場には、全国の日本を代表する視覚障害者の方の支援に携わっている機関で、長年支援された経験があり、責任者になられた方々にお集まりいただいています。

 御紹介いたします。日本視覚障害者団体連合常務理事の後藤英信様、広報担当の池田絵美様。大阪から来ていただきました、日本ライトハウス施設長の市川としみ様。日本点字図書館館長の長岡英司様。元神奈川県総合リハビリテーションセンター副所長であった中村泰三様。東京視覚障害者生活支援センター所長の長岡雄一様。ロゴス点字図書館館長の西田友和様。それから、現役で太陽生命保険株式会社で働いている鈴木沙耶様。認定NPO法人タートル理事長の松坂治男様。NPO法人のSPAN理事長の北神あきら様です。

 実行委員方々として、神奈川県総合リハビリテーションセンターの渡辺文治様。教育分野からは、国立特別支援教育総合研究所の特任研究者であります、大内進様。社会福祉法人日本盲人福祉委員会常務理事の指田忠司様。先ほど司会として出られておりました、国立障害者リハビリテーションセンター病院ロービジョン訓練の中西勉様。医療法人済安堂井上眼科病院の石原純子様です。それから、このセミナーは、読売光と愛の事業団の御支援、後援で開催させていただいておりますが、松本光弘様にも御参加いただいております。報道関係として、点字毎日の山縣章子様、雑誌『視覚障害』の星野敏康様です。

 今、御紹介した方々は、リモート参加をされている皆様方の視覚障害の支援に関して、どのような質問、相談にも乗れる方々ですので、遠慮なくお聞きいただけたらと思います。最後に、日本テレビ系の日テレアックスオンのクルーの方4名に来ていただいています。今年は視覚障害者の就労をテーマに、『日本視覚障害者職能開発センターの40年の活動』というDVDを制作しています。これは3月までに作り上げて、4月から公開となります。お問い合わせいただければ無料でお貸しいたしますので、見ていただけたらと思います。

 それでは、本日の全国ロービジョンセミナーが、リモート参加者の方も含めて、皆様方に意義あるセミナーになることを期待しまして、私からの挨拶とさせていただきます。

○中西 総合司会の中西です。本日のこのセミナーですけれども、まず午前中は、この後に講演が3本あります。今までの視覚障害の方々に関する機器などの歴史のようなもの等々です。そして、昼食を挟みまして、午後1時からは、今度は実際にそのような開発をしていらっしゃる高知システムの方のお話などを、講演ということでお聞きいただければと思います。その後、13時半からパネルディスカッションがあります。実際に現役で、ここを修了されてお仕事をなさっている方々、指導をなさっている方々に、ICTに関するようなお話などをお聞かせ願おうと思っております。その後、15時25分から閉会式となります。そのような流れになっております。
 それでは、午前中のセッションにいきたいと思います。午前中のセッションの進行役は、医療法人社団済安堂井上眼科病院の石原様です。では、よろしくお願いいたします。

■午前の部

■講演①「IT以前 カナタイプ、オプタコンを中心に」

○石原 石原です。皆様、こんにちは。今日は午前の司会を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。午前の部は、職能開発センターの40周年を記念して、これまでの歴史を振り返るというテーマで、長い間視覚障害者の就労に関わりの深い3名の先生から御講演を頂きます。このような、そうそうたるメンバーの先生からお話を伺えるのはめったにない機会だと思いますので、私もとても楽しみにしてまいりました。
講演に先立ち、午前の流れについて御案内いたします。講演①、渡辺先生、講演②、長岡先生、休憩を挟んで、講演③、指田先生にお話を伺います。その後、質疑応答に移っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、講演①、演題は「IT以前 カナタイプ、オプタコンを中心に」、演者は、神奈川県総合リハビリテーションセンターの渡辺文治先生です。先生は、大学院前期博士課程修了後、視覚障害者更生施設、神奈川県総合リハビリテーションセンター七沢ライトホームに御入職されています。1981年、オプタコンティーチャーズ協会に参加、1991年、アイダス、視覚障害情報機器アクセスサポート協会に改組、研修会の開催、機関紙の発行など運営に携わってこられました。1988年、ロービジョン研究会、1992年、視覚障害リハビリテーション協会の設立と運営にも携わっておられます。現在も視覚障害児童から成人のリハビリテーションの推進、ロービジョン者に関する普及・啓蒙活動を行っておられます。
 では、渡辺先生、よろしくお願いいたします。

○渡辺 今、御紹介いただきました渡辺です。よろしくお願いします。「IT以前」という題でお話を30分ほどさせていただきます。スライドを作ってみたのですが、200枚近い量になって、昨日、慌てて半分以下に減らしました。少し話が通じないところがあったりするかもしれません。御容赦ください。

 半世紀前、私が大学を卒業して就職した頃、パソコンやスマホがまだなかった時代に、視覚障害者はどのような手段を使っていたのでしょうか。今日お話をするのは、カセットテープレコーダー、カナタイプライター、オプタコンの話です。どれも、もうなくなってしまった、あるいはほぼ使われることのなくなってしまったものですけれども、世の中にとってはいろいろな影響があったものだと思いますので、その辺の話をさせていただきます。

 まず、カセットテープレコーダーですけれども、1966年にソニーが1号機を発売したというようにインターネットに出ていました。大体1960年の後半ぐらいから、日本のメーカーはカセットテープをいろいろな形で売り出しています。日本点字図書館も、1958年には既に録音図書の製作と貸出しを始めています。1976年にオープンリールからカセットテープへ移行して、2011年には残念ながらサービスを終了、1999年にはデイジーの貸出しを開始しているということで、20世紀のものだったのだなということです。カセットテープレコーダーというのは、私たちリハビリテーションに携わっている立場から言うと、とても使いやすいものでした。ほとんどの人が使えるという、珍しいものでした。訓練をする際の資料だとか時間割とか、もちろんレクリエーションとか音楽にも使えますし、非常に汎用性のあるものであったということです。ただ、余りにも当たり前で、みんなが使っていたものなので、いつ頃からどういう形で使ってきたのかはほとんど報告されていません。よく分からないまま、便利なままなくなってしまったということだと思います。

 私たちはよく「点字以前」ということを言います。点字というものが余りにも完成されたものであったため、点字が発明される以前にいろいろなものが使われて、考えられていたわけなのですが、そういうことは全く一般の方は御存じない。この業界にいる人間でも、授業でちょっと聞いたぐらいで、点字以外には何も存在していなかったというような状態になっています。

 ちょっとこれは脱線ですけれども、1825年にブライユが点字を完成させて、盲学校で使われるまでに20年、フランスで正式にされるまで更に10年掛かりました。非常に時間は掛かったのですが、日本では1890年、イギリスではアーミテージが1868年に採用したというように物の本には書いてあります。その頃のイギリスの状態を見てみると、1871年には、点字以外にムーンタイプだとか、様々なタイプのものが使われていました。点字は僅か4校だったのですけれども、12年後の1883年になるとムーンタイプが35、点字が27か所ということで、急激に点字への移行が行われた。本当はこの後にもう1つスライドがあったのですが、消してしまったのですけれども、点字がとにかく圧倒的な勢いで世界中に広まって、ほかのものがなくなっていった。急激な変化があったわけです。同様なことが起きたということです。

 点字というのは、視覚障害者の文字として読み書きの両方ができます。しかし、晴眼者は点字にするとなかなか読めないという問題があります。視覚障害者には、墨字、普通の文字は、そのままでは読むことはできない。しかし、書くことは可能なわけです。自分で書けるけれども、確認することが難しいという問題があります。こういう普通文字、墨字の処理というのは教育職業上、極めて重要なものなので、それに対応するために、今日お話するこの後の2つ、カナタイプライター、オプタコンというのが考え出されたのだと思います。

 まず、カナタイプライターです。七沢ライトホームというのは私が以前いた生活訓練施 設で、1973年に開所されましたけれども、その頃コミュニケーション関係でやっていたことというのは点字、普通の文字を書くこと、カセットテープレコーダー、カナタイプ、1970年代の終わり頃からオプタコン、あとは拡大読書器といったものが種目としてありました。多分、他の施設もこのようなものだったのだと思います。

 このスライドはカナタイプライターですけれども、この会場の後ろのほうに、細々と展示してあります。左側の白いのがOLYMPIA、右側は多分brotherだと思いますが、これらは1970年代によく使われていた機種です。

 キーの配列ですけれども、パソコンをよく見ていただくと、パソコンのキー配列のアルファベットの所に仮名文字が付いています。ほぼ同じ配列になっているはずです。実はカナタイプライターは、視覚障害だけが使っていたのではなく、アメリカのタイプライターに仮名の活字を付けるというような形で、19世紀の末ぐらいからいろいろな試みが行われていたようです。日本には、皆さん御存じかどうか、カナモジカイという団体があって、いろいろな運動をされていたのですけれども、そこで字体をどうしたら見やすくなるかということとか、先ほどお示ししたキー配列ですが、どのような配列にしたら合理的なのかという検討が行われて、山下・Stickneyという方々が、多分、今の大体の配列を決めたのだと思います。

 日本でも大正の末、1923年にはカナタイプライターが輸入されたという記録があります。実は工場の伝票だとか、電報など様々な情報通信等に使われていたようです。
視覚障害者のカナタイプの利用はいつ頃かというと、1926年、小原さん、1936年、本間先生などが大学で使用したという記録があります。また、職能開発センターの創設者の松井先生が、1938年に大学受験に使ったと書いてあります。卒論が1945年、間にいろいろな紆余曲折があるので年数はちょっと合わないのですが、卒論をカナタイプライターで書いたという記録があります。

 松井先生は、皆さん御存じだと思いますけれども、戦傷のために失明されて、1963年に、ここの前身と言っていいのでしょうか、日本盲人カナタイプ協会を設立されています。それで全国の視覚障害者を対象に広めようということで、「無料貸出事業」だとか「愛盲タイプ1000台整備運動」というのをされたそうです。このスライドは職能開発センターの写真をひっくり返していたら出てきたのですが、右側が函館視力障害センター、左側が順天堂大学眼科に送ったカナタイプライターです。もちろん神奈川県にも来ていました。古い担当者に聞いたら、神奈川県ライトセンターという施設があるのですが、そこには確かに来ていたということです。

 1952年、ようやく私が生まれた頃ですけれども、東京光明寮で指導を始められたということです。1963年には、そこの生活訓練にカナタイプを導入し、1965年には第1回の全国盲人カナタイプコンテストを開いています。松井先生はとても仕事が早かったのですね。カナタイプを広めるために指導者講習会ということを盛んに行っていました。南は沖縄、スライドに写っているのは多分篠島先生だと思います、北は北海道、右側に写って握手をしている男性が松井先生になります。このスライドは東北大学で講習会をやったときの写真です。残念ながら私はまだこの頃は研究室に入っていないので写っていないのですが、左側に「ミヤギケン,トウホク ダイガク シカク ケッカンガク」と書いてあるのがカナタイプの文字になります。これを整理するときに、どうもお作りになって、貼ってあったみたいなのですけれども。神奈川県でもライトセンターなどで講習会をやっています。

 当然テキストなども作っていまして、右側は点字版ですけれども、左側は「HAND BOOK」、これはまだここに何冊か残っていると思いますが、大体どこの施設に行ってもありました。カナタイプについて、初期のことは非常によくまとめられたものになっています。

 先ほど触れましたが、1965年の第1回盲人カナタイプコンテスト、単語書き・短文速度書き・録音速記などという種目があったみたいなのですけれども、第1回目からやっていたかどうかは分かりません。そういう種目がありました。単語書きというのは、単語をひたすら打つというものです。これは1980年の第14回のカナタイプコンテストですが、このときにはオプタコンのデモンストレーションが行われています。余り写真は鮮明ではありませんが、右側に妙なタイプライターがあります。後ろの一番左端の真ん中の所にあるタイプライターです。あれにちょうどアタッチメントが付いていて、オプタコンに打った文字が映し出されるような形になっているものです。

 生活訓練施設では、先ほど言いましたように、1973年の開所の頃からカナタイプの訓練をしていました。担当者に聞きましたら、1993年か1994年頃まで訓練をしていたということです。残念ながら、今、こういう時期なので実際に行って調べることができなくて、はっきりしたことは分からないのですが、担当者の言うことだから、多分1990年代の始めまでは訓練していたということです。オプタコンの訓練が1970年代の終わり、点字ワープロの訓練が1980年頃に始まっています。ちょっとはっきりした年代が分からなかったのですけれども。神奈川県ライトセンターでもカナタイプは1976年、オプタコンは1982年、点字ワープロは1986年というように、やはり1980年頃が転換点になっています。

 カナタイプはいろいろな形で普及していきまして、国立東京視力センターに盲人録音タイピスト職業訓練課程というのが、1968年に設置されています。コンテストもずっとあったのですけれども、1981年の競技大会のときに、ワープロの競技大会を同時にやったらしいのですが、希望者がとても多くて、その後、乗っ取られたような形になって、なくなっていくというような流れになっているみたいです。ワープロ競技大会というのは、2005年まで続いたというように記録には残っています。カナタイプ競技会のほうは1995年で終了していますので、やはり1990年代の中頃ぐらいには、カナタイプというのが大体なくなっていたということのようです。ちなみに、コミュニケーション関係の日常生活用具というのは、カセットテープレコーダー、カナタイプ、拡大読書器というものがありました。これがあったお陰で非常に普及したと言えると思います。

 カナタイプを使うことで、墨字で発信するということはある程度可能になったのですが、やはり漢字が使えない。自分が打ったものが、なかなか確認できない。もちろん慣れてくれば分かると言うのですけれども、それでも、やはりトラブルはあるわけでして、そういう問題がありました。もう一つ、カナだけでは晴眼者には読みにくい。読みやすくするために独特な分かち書きがありました。点字に近いのですけれども。そういう分かち書きを使っていたのですが、それでも、やはり読みにくいですよね。皆さん、昔の電報を覚えていると思いますけれども、ああいうものですから。1989年には、ここのセンターでもカナタイプは廃止になって、ワープロに移行していったと。ワープロ・パソコンの登場と同時に役目を終えたということのようです。

 次は、オプタコンの話です。オプタコンというのは盲人のために作られた携帯用の文字読取機と、当時のものには書いてあります。Optical to Tactile Converterという英語名の頭文字から「OPTACON」という名前が付けられています。印刷された文字、あるいは書いた文字でもきれいなものに関しては、振動するPINを指で触って読むという形のものです。

 作ったのは、スタンフォード大学のリンビル先生という方です。自分のお嬢さんのために開発されたということで、当初は部屋いっぱいになるぐらいの大きなものを、今で言う先ほどのテープレコーダーぐらいの大きさに、と言っても、この会場の人は分かりますでしょうか、そのくらいの大きさにまとめたものです。アメリカでは、スタンフォードの中にあるTSI、テレセンサリーという会社が作って、北米などでの販売を担当している。日本では、キャノンが代理店になって普及に努めたということになります。実は、後でオプタコンⅡというのもできるのですが、それはキャノンが生産して販売しています。

 まず、値段ですけれども、当時日本円で131万円、1970年ですよ、高いですよね。オプタコンⅡはかなり努力されたみたいで、50万円は切っているのですが、49万8,000円、非常に高価なものでした。でも、あの頃のオプチスコープという拡大読書器も、多分70万とか80万とかしていたという記憶があるので、ああいうものは非常に高かったわけですよね。オプタコンⅡは、1989年のグッドデザイン賞を受賞しているそうです。

 今、スライドに出ている、手前にあるのがオプタコンです、奥のほうにあるのは訓練用の機材ですけれども、本体は比較的コンパクトなもので、肩にぶら下げて持って歩けるというようなものになります。このスライドはオプタコンⅡです、更に小型化して、軽くなりました。これがカメラの部分ですが、これで文字の上に置いて、それを滑らせていく形で読み取っていきます。触知盤という、PINがたくさん植えられていると言ったらいいのでしょうか、どのように言えば分かっていただけるでしょうか、剣山の1つ1つの針に、防御のための穴を開けておいて、それが下からようやく触れるぐらいに出ているというようなイメージなのですが、最初のものは、6×24で144本ありました。オプタコンⅡは、5×20で100本になっています。値段を安くするために努力されたのですけれども、縦に短くなったということで、倍率に多少影響が出ています。これが触知盤、タクタイルアレイです。よく見えないかもしれませんが、この1つ1つの点がPINになっていて、これが振動するわけです。

 これは訓練用のヴィジュアルディスプレイというものですが、先ほどのPINの1本1本に、1つ1つの明かりが対応しています。今、「H」という文字の最初の部分が出ているのですが、縦にずっと付いている明かりの部分が振動しているわけです。これがカメラを右に動かしていくと、文字は左に流れていくという形で動いていきます。これは「H」の終わりのほうですね、最初に縦の線が出てきて、横の線が出てきて、縦の線で終わるという。「A」だったら、斜めの線で上がっていって、下がっていくというような感じになります。

 文字をきれいに出すためにはカメラをうまく保持しないといけない、これがなかなか難しい。一定のスピードで動かさなければいけませんし、こういうのを練習するのが大変なわけです。読み取る前にカメラを動かすという動作が既に難しい。それを補助するためのものが幾つか作られています。これはトラッキングエイドという、カメラをまっすぐにした状態で動かすものです。これは自動的に動いてくれるタイプのものです。ほかにもオプタコンのアクセサリーというのは幾つかありまして、計算機が読み取れるもの。計算機という言葉自体がすごく古いですよね。ブラウン管読み取りアタッチメント、タイプライターアタッチメント、先ほどのものですね、この会場の後ろの左の真ん中辺にある、タイプライターの上にくっ付いているものがそうです。あとは、小さな文字を拡大するため、辞書などを読むためですね、拡大レンズといったものもあります。この左側はブラウン管読み取りアタッチメント、底のほうにある丸い開口部をブラウン管の上に乗せて読み取る。これをパソコンのプログラマーなどが使っていたという話もあります。右側のほうが先ほど言ったタイプライター用のアタッチメントです。

 導入の経過ですが、1970年、リンビル博士が京都でオプタコンの報告をされたということです。1973年にはTSIが製作した『オプタコン』という映画を、ここの盲人カナタイプ協会が主催で東京都心身障害者福祉センターで上映しています。

 特殊教育総合研究所に小柳先生という先生がいらしたのですが、小柳先生がTSIに実際に行かれて、リンビル先生の娘さんのキャンディ・リンビルが、実際にその辺にある新聞だとか本を本当に読んでいるというのを見て、ああ、これは使えるということで、導入することにかなり積極的になったみたいです。

 キャノンが1974年に視聴覚補装具事業部というのを作って、永田さんという方が部長だったのですが、オプタコンの事業が始められました。この頃ちょうど私は大学で、卒論のテーマを何にしようかと考えていた時期だったので、オプタコンで卒論を書くことになりました。

 1971年にアメリカで発売が開始されて、1974年には日本に導入された。1975年にはオプタコンティーチャーの養成講習会が始まります。6年後の1981年には、オプタコンティーチャーズ協会というのが設立されました。同時に、オプタコン国際セミナーというのが、この後10年ほど続くのですけれども、ずっと行われました。しかし、1991年にはオプタコンティーチャーズ協会が、もうオプタコンのティーチャーだけでは不十分だろうということで、視覚障害情報機器アクセスサポート協会、通称アイダスという組織に変わっています。

 1974年には東北大学、東京教育大学、東京都心身障害者福祉センター、ここの日本カナタイプ協会、それから、久里浜にある特殊教育総合研究所にオプタコンが購入されて、何せ高い機器ですから、5施設で研究が始まりました。

 これはうちの大学の英語の広報紙です。オプタコンが話題になるぐらい注目されていたものなのですね。これは実際にオプタコンを指導している場面です。

 職能開発センターの入口の右脇にこういうプレートがあります。「日本視覚障害者職 能開発センター」と「東京ワークショップ」というのがあります。ついこの間まで、こちらのほうが高そうなプレートですけれども、その下に「オプタコントレーニングセンター」というのが付いていました。ですから、ここを立ち上げるときには、オプタコンにかなり力を入れていたわけです。

 オプタコンはどれぐらい売れたのかということですけれども、あの高いものが、1987年には1万台を超して販売されていた。値段からしたら、よくやったといってよいのではないかと思います。どのような所に売れているか。今、図が出ていますけれども、水色の部分が北米、赤っぽいのが西洋ですけれども、ほとんどが欧米で占められています。アジアは緑の所です。本当に僅かです。当たり前ですよね、価格と使っている文字のことを考えると、なかなか導入されるわけがない訳です。

 日本では、2000年でキャノンが販売を停止していますけれども、最初のR1型が514台、後のオプタコンⅡが196台、合計710台、よく売れたと思います。当時は非常に注目されたものでした。

 今、日本におけるオプタコンの普及というグラフが出ているのですが、赤い部分がオプタコンティーチャーの数です。台数が水色の部分です。大体1982、1983年をピークに、どちらもどんどん下がっていきます。

 どのような人が使っていたかということですが、学生が多いですけれども、一般の方、あはき従事者などもお買いになっている。かなりいろいろな層に使われていました。

 オプタコンの導入は、オプタコンティーチャーの養成とセットになっていました。何せ難しいものなので時間が掛かるのですね。養成講習会のやり方も、作っていたTSIの方式に倣っていました。

 1974年にTSIのオプタコン・トレーニング・マネージャーのブルグラー夫人が来日されて、東京と大阪の日本ライトハウスで講習会が開催され、7名のティーチャーが、もう皆さん引退されていますけれども、誕生しました。その後、そのメンバーなどが中心に講師になって、1975年から講習会を開始して養成に励んだわけです。この内容がとても厳しいもので、その話は後でしますけれども、1990年、オプタコンティーチャーズ協会が終わる頃には、オプタコンティーチャーの会員が390名、参加されていない方もいるので、全部で400人を超すティーチャーが養成されています。

 大体受講者は1980年代が一番多いです。よく見えないと思いますけれども、養成講習会の日程ですが、大体1週間なのです。日曜日の午後に集まって、いろいろな説明を受けて、その後6日間、びっしり訓練があります。朝の9時から5時過ぎまで延々とやるのです。もちろん講義の時間もあるのですが、メインになるのは、実際に訓練している場面を見ながら、途中からは課題を与えられて、実際に自分で指導してみるという形になっていました。右に映っている先生は眼科の講師、大学の先生ですけれども、そのような方も参加されていました。

 とにかくやったことを細かく記録しろという要求があって、なかなかこれが大変だったのですけれども、どのようなことをやったか、その評価はどうだったかということを細かく記録していきます。それでミーティングというのがあって、このスライドでは、時計は午後3時半になっているのですが、5時過ぎまでずっと、一人一人の方に対してどういう訓練をしたのか、どのような問題があったのか、次回はどういうことをするのか、プラス、実際に講習を受けている方の指導にどういう問題があったのかということを指摘しながら、これを延々1週間続けるという、非常に厳しい講習会でした。

 どういうテキストを使ったのかということですが、最初はもちろんアメリカ製のものを使っていました。しかし、何せアメリカの、アルファベットだけでは具合が悪いので、日本語のテキストもいろいろ作られています。これはTSIのテキストですが、カメラを動かすときのガイドになる縦のラインと、区切りになる横のライン、それから、実際に読むべきものが出てくるリード線というようなものが必ず付いているという構造になっています。これは日本語の片仮名、平仮名、漢字です。右下のほうが、よせばいいのに、縦書きの漢字のテキストなどというのも出来ています。これは私たちが作ったのですけれども、カナタイプを使う方が多いので、カナタイプを使ったときのためのテキストになります。やはり同じような縦のラインと区切りのライン、リード線というようなものが付けられています。

 先ほどオプタコン国際セミナーの開催という話をしましたけれども、それがアイダス協会に変わって、アイダス協会が講習会と研修会をやるようになりました。オプタコン国際セミナーの代わりに、テクノユースセミナー、ワークテックというのが開かれて、その後にロービジョンセミナーという形で延々と続いてきているわけです、内容を変えていますけれども。

 これはオプタコンセミナーのときのプログラムです。テクノユースセミナー、「情報へのアクセス」というテーマです。その後は、「墨字情報へのアクセス」「情報の電子化とネットワーク」「図形情報へのアクセス」「マン-マシンインターフェース」というテーマで、その後5年間やっていたのですが、内容はこのようなものです。その後、「雇用に直結できる福祉機器」という形で、雇用にかなり重点を置いた会というようになっていきます。

 オプタコンに関する論文等もあるのですが、オプタコンティーチャーズ協会の会長だった村中先生が、1983年、そろそろオプタコンが危なくなってきた時期だと思いますけれども、「オプタコンの独自性?、必要性」について言及した巻頭言がありまして、「フォーマットに自由自在に対処する機能は当分他をもって代えがたい」と言っていました。しかし、その後10年たたずに、ほとんど使われなくなってしまったという経過があります。1990年代前半ぐらいは10%だったパソコンの普及率が、1990年代後半にはどんどん普及率が上がって、2001年には半数を超えている。視覚障害者にも普及し始めたという流れで、そういう流れに抗し切れなかった。

 オプタコンというのは極めて有用なものであったと今でも思っています。視覚障害関連のいろいろな分野がその普及に努力を傾けてきました。残念ながら価格が非常に高い、訓練に時間が掛かるといった問題があったのですが、特にパソコン、ワープロというものが出てきた時点で、その流れに対抗できなかった。20世紀の最後を飾る情報機器と言ってもいいと思います。

 カセットテープ、カナタイプ、オプタコンというのは、それぞれの時代では非常に有用な使えるものではあったのですが、ほかに出てきた便利な機械に取って代わられたという流れだと思います。ただ、「どのような過程でどんなものが開発されて来たのか?」というのを記録していくことは大事だと思うのですね。特に、神奈川リハセンターなどもそうですし、職能開発センターもそうですけれども、組織の改編だとか建物の建て替えということで、古いものがどんどん捨てられています。神奈川リハセンターにもカナタイプがありませんでした。職能開発センターにもカナタイプは後ろにあるだけということで、インクリボンもなくて今は打てないという状態なのです。オプタコンに関しても、残っている所は非常に少なくなっています。拡大読書器などもそうなのですけれども、やはりどのような経過で作られてきて、どのようなことを考えてきたのかというのを残していく努力というのは必要なのではないかと思います。今日の午後の座長をされる大内先生は、個人的にそのようなことを考えて、いろいろなものを保存されているのですけれども、個人ではなかなか難しい部分がありますので、こういう要求をしていかなければいけないのではないかと。すみません、時間をオーバーしてしまいました。御清聴ありがとうございました。

○石原 渡辺先生、ありがとうございました。

■講演②「IT活用の進展と就労の可能性の拡大」

○石原 次に、講演②に移りたいと思います。ただいま準備中ですので、しばらくお待ちください。では、講演②に移りたいと思います。演題は「IT活用の進展と就労の可能性の拡大」、演者は、社会福祉法人日本点字図書館常務理事館長の長岡英司先生です。先生は、1979年から1990年にかけて、国立職業リハビリテーションセンター電子計算機科、職業訓練指導員として勤務されています。1990年から2000年にかけて、筑波技術短期大学情報処理学科教員として、視覚障害者の職域開拓と就職・復職支援を担当されています。特に、情報処理技術は、教育訓練とそのための環境整備のために深く関わってこられました。情報事務系分野での就業の促進に貢献されてきました。では、長岡先生、よろしくお願いいたします。

○長岡 御紹介いただきました、日本点字図書館の長岡です。今日は、1980年代から90年代にかけて、いわゆるIT、情報技術の利用が進み、それによって視覚障害者の働く可能性が拡大した、このことの概要を振り返ることにいたします。その前に、1つ録音を聞いていただきたいのです。

(音声開始)
 ある日、新宿の中村屋のね、社長が、「松井さん、何だタイプうまいんだね」と。「これ使ってごらんなさい」と持ってきてくれたのが、カナ文字タイプライター。これがね、私のカナ文字タイプの出会いだったんですね。このタイプライターがですね、の出会いがですね、ついにこんな職能センターにまでつながるようになってしまいましてね。そしてね、無我夢中でね、私はね、初めて打ったのが、「えも言えぬ 香りいずことまさぐれば 手に余り咲く瓶の白百合」と。いい匂いがするなあと思ってね、ちょっと手を出したら、鉄砲百合が大きくね、咲いていたというね、下手な短歌をね、「えも言えぬ」とこういうふうに打っていったらね、横にいた看護婦さんが読んでくれたんですね、声を出して。「あっ、これだ」と思って、「松井さんうまいじゃないの」って言われてね、「あっ、これだな」と。正にね、失明は文字を書くその手を失ったことじゃないんだと。ね。文字を書くその手を失ったことじゃないんだと。やはりね、やはり目は見えなくってもね、心の自由は失うなと。そこに私のカナタイプ問題がね、始まっちゃったんですね。ええ。
(音声終了)

 申すまでもなく、当センターの創立者、松井新二郎先生のお声です。これは、日本点字図書館創立70周年記念CD「先人の声、歴史を築いた50人」から聞いていただきました。今の松井先生のお話にもありますように、視覚障害者が墨字を扱う可能性を芽生えさせたのがカナタイプライター。そして、それを大きく育てたのが、今日、お話をするITと言えるのではないでしょうか。

 最初に、ITの活用が始まる直前、1970年代の状況を振り返ることにします。当時はまだITという言葉や概念はなかったと思います。いわゆる情報技術などの新技術です。その新技術が視覚障害者の文字処理支援に実用されるようになった。そして、その成果として幾つかのものが形として開発をされた。そういう時代だったように思います。
先ほど御紹介にありましたオプタコンは、1971年にアメリカのテレセンサリー・システムズ社によって製品化されました。ほかに、1976年には、日本の株式会社ミカミという会社が拡大読書器、オプチスコープCCU-C型を初めて製品化しました。その3年前の1973年に、このミカミが、都立中央図書館の依頼を受けて、新聞拡大用の装置を開発したのです。その技術がいかされて、このオプチスコープの製品化につながったと言われています。そして、1970年代後半には、通産省工業技術院や民間企業3社が協力をして、点字複製システム、ブレイルマスターを製品化しました。紙に打たれた点字を自動的に読み取って、電子データ化して、それを編集・印刷できる、そういう優れたシステムです。全国の多くの盲学校に導入されました。ブレイルマスターです。そのほか、コンピュータによる実用的な点字の処理なども、この1970年代に行われるようになりました。

 そして、国産パソコンの発売です。視覚障害者の間では、コンピュータに対する期待が高まっていたのです。1970年代後半に、ミニコンピュータによる墨字の代筆システムの研究、長谷川貞夫先生という方がこういうことをなさっていたことが知れ渡りまして、コンピュータによる可能性に対して視覚障害者の間で期待が高まっていた。そうした中で国産PCが発売された。最初の国産PCは、余り知られていないのですが、1978年、日立製作所のベーシックマスターMB-6880という機種だったのだそうです。でも、最初に普及した国産PCは、何と言っても、1979年に日本電気、NECから発売されたPC-8001だと思います。

 視覚障害者の間ではパソコンへの期待が高かったものですから、このPC-8001をいち早く買って使っていた視覚障害者を知っています。当然、まだ支援ソフトなどは何もありません。どうやって使っていたかと言いますと、画面に表示される文字、文字といっても漢字はまだ出ません。英字と数字だけです。それをモールス信号で出力して画面を読み取る、聞く、そのような涙ぐましい努力をしていた視覚障害者が何人もいました。

 そうしたパソコンへの期待に応えるために、様々な支援ソフトウェアが1980年代に開発されていきます。それを支えたのが音声合成装置です。多くの支援ソフトウェアが、その音声合成装置を使って声を出力して、視覚障害者のためのいろいろな機能を実現した、そういうことがありました。最初に、音声合成装置を見ていただきます。今、スライドでお示ししているのは、1983年に最初に市販された音声合成装置、SSY-02です。亜土電子という会社から発売された、大きさは難しいですね、弁当箱ぐらいと言ったらいいでしょうか、そういう装置です。

 次は、富士通から1989年に発売されたFMVS-101です。これは多分、視覚障害者の間で最も多く使われた音声合成装置だと思います。一時期、NECのPCにこの富士通の音声合成装置を使うのが、視覚障害者の間では定番だった、そのような時期もありました。

 さて、そういう音声合成装置を使ってどういうソフトウェアが開発されたかを、次に御紹介します。何と言ってもパソコンに対する期待は、漢字仮名交じり文を独力で書くこと、それが一番の期待だったわけです。ということで、ワープロソフトが多く開発されました。1980年代に開発された視覚障害者用のワープロソフトを、年代順にお示しします。

 1982年には六点漢字ワープロ。これは、富士通のFM-8というパソコン、PC用に開発をされたもので、長谷川貞夫さん、六点漢字の考案者ですが、この長谷川貞夫さんが中心になって開発をされたワープロソフトです。翌年には、それのNECのPC用のものもリリースされました。1984年にはAOK点字ワープロ、これは多くの視覚障害者が一時期使っていました。今日の午後のお話でも、このことが取り上げられるものと思います。高知システム開発のワープロソフトです。あと中田ワープロ、チノワード。中田、知野、これは開発者のお名前です。そして、同じく1984年、エポックライターおんくん。YDKと書いてありますが、これは、当センター、当時の日本盲人職能開発センターが中心になって、YDKというソフトウェア会社の協力で開発をした録音速記専用のワープロソフトと言ってよいのではないでしょうか。

 1985年には、KIワープロ、これも開発者のお名前に由来しているネーミングだと思います。1986年にはAOK点字ワープロのPC-98用。ちょうどこの頃、8ビットパソコンから16ビットパソコンに移行する時期だったのです。各ワープロが16ビットパソコン用に高機能化された、AOK点字ワープロも高機能化された。チノワードも同じ。代筆君というのも出てきた。KBPワープロというのもあった。1988年には、NRCD-Penというワープロソフトが登場します。NRCDというのは、国立身体障害者リハビリテーションセンターの頭文字です。このことからも分かるように、国立身体障害者リハビリテーションセンターの研究所が中心になって開発をしたワープロソフトです。ほかにカナエースなどというソフトもありました。

 途中で御紹介をしたAOK点字ワープロ、これの声を聞いていただきましょうか。86年に高機能化されたAOKワープロの声です。

(音声開始)
メニュー 点字ワープロ、辞書登録、システム管理、プログラム終わり
点字ワープロ サイズ A4 クリア
(音声終了)

 今のきれいな音声に比べると、ちょっと風邪を引いたような声ですよね。これがAOK点字ワープロの声です。
 ワープロソフトと同じように、PCの画面を読み上げるソフト、スクリーンリーダー(画面読み上げソフト)も開発されました。これについても1980年代から1990年代、年代を追ってどのようなものがあったかをお話します。

 1984年には、VDSSY、VDVSSという2つのスクリーンリーダーが開発されました。このVDSSY、御記憶でしょうか、最初に市販された音声合成装置、SSYを使ったスクリーンリーダーということで、こういう名前が付いています。開発者は斉藤正夫さん。この斉藤さんは視覚障害当事者です。もともと石川県の病院でマッサージのお仕事をされていた方で、アマチュア無線に詳しくて、とても技術に長けた方。その方が、視覚障害者用のスクリーンリーダーを多く開発をして、これが広く使用された。その最初のものが、1984年のVDSSY、そしてVDVSS。VSSという音声装置もあったのです。それから、1986年にはOS-TALK、1987年にはVDM98K、これも斉藤正夫さんです。VDM100、これも斉藤正夫さんです。1988年にはDOS-READER、音次郎。1989年にはやまびこ、FM-TALK。1992年にはVDM-101、これも斉藤正夫さんです。そして、FMBRAILLE。1993年には、日本語スクリーンブレーラー、これは点字で画面の情報を表示するシステムです。1995年にはPC-Voice、こういった数多くのスクリーンリーダーが1980年代から1990年代前半にかけて開発されました。

 1988年にマイクロニクス社からリリースされた音次郎というスクリーンリーダーがありました。これの声を聞いていただきます。これは、音声合成装置がラッコ、海の動物であるラッコの人形の中に入っていたのです。その声です。

(音声開始)
 僕は音次郎です。僕はPC-9800シリーズ、パーソナルコンピュータ用の音声合成装置です。簡単に説明すると、画面に表示される仮名漢字交じり文を、きれいな日本語で、アクセントをつけて読み上げるシステムです。僕の本体はラッコのかわいいぬいぐるみの中に格納されています。そして、僕をパソコンのプリンタポートに接続するだけでOKです。
(音声終了)

 これは、やはり今の音声に比べると聞きづらい音質ではあります。でも、こういうものが使われていた、これが1980年代でした。

 それから、ロービジョン者のためのツールも開発されました。これは、1980年に日本盲人職能開発センターが開発をした、WPD-1という光学式の拡大装置です。拡大読書器を改造したもので、拡大読書器のカメラをPCのスクリーンの前にセットする。その映像を工学方式で拡大をして、拡大読書器の画面上に表示するというもので、かなり大掛かりの装置です。日本盲人職能開発センターの1980年の成果物です。

 次は電子式の拡大装置です。1988年にネオローグ電子という会社が開発をした、PC-WIDEという電子装置です。NECのPC本体とモニターの間に接続をして、ジョイスティックで文字拡大などの操作をする。発売はネオローグ電子という会社ですが、これの開発には国立職業リハビリテーションセンターの研究部門が関わっていました。このように、当初、ロービジョン者用の画面拡大ツールはハードウェア、装置が中心だったのですが、その後はソフトウェアに変わっていきます。そういう歴史の流れがありました。

 1980年代後半になりますと、PCの基本ソフトウェアがMS-DOSになりました。今のWindowsを作っているマイクロソフトが、その前にMS-DOSという基本ソフトウェアを提供していたのですが、これが、いわゆる実質的な国際標準の基本ソフトウェアとして世界中で使われるようになったのです。それができたことによって、使用環境も機種を問わず同じになりましたし、ソフトウェアも開発しやすくなったということで、多くの視覚障害者向けの支援ソフトウェアが、このMS-DOSの下で開発をされた。それを利用して、視覚障害者の職業の可能性や学業の可能性が広がったわけです。その頃の様子をラジオ番組で振り返ってみたいと思います。1989年に、ラジオたんぱという放送局、今のラジオNIKKEIです、そこで放送された「視覚障害者の広場」という番組です。今の文科省、文部省がスポンサーの番組でした。ちょっと聞いてみたいと思います。

(音声開始)
 先日、7月30日の日曜日に、東京の四ツ谷駅近くにある日本盲人職能開発センターで、日本盲人福祉研究会の1989年度研修会が開かれました。今年の研修会は、「視覚障害者の今後の文書処理 墨字は本当に読めるのか」というテーマで、講演とパネルディスカッション、そして、コンピュータ用音声機器の展示が行われました。
(音声終了)

 この建物が会場になってそういう催しが行われた。自分の声なので気持ちが悪いのですが、もう少し聞いていただいていいですか、当時の様子が少し分かります。

(音声開始)
今日は、この研修会の模様とコンピュータ用音声機器の現状を御紹介しましょう。文字の読み書きに関するハンディキャップの克服に、コンピュータ技術が活用されはじめています。中でも、最も成果を上げているのがワープロです。音声での読み上げ機能などにより、視覚障害者が独力で漢字交じりの普通の墨字文章を書くことを可能にしました。漢字の読み上げは、最初は音読みだけ、あるいは、音読みと訓読みを単に組み合わせるだけでしたが、最近では技術が進歩して、各々の漢字に説明を付けて読み上げる詳細読みが一般的になりました。こうして、墨字を書くことはある程度できるようになってきました。しかし、墨字を読むことは依然として大きな問題です。そこで、今回の研修会では、文書処理の中でも、この墨字を読むことに焦点が当てられました。

 パネルディスカッションでは、3人の全盲パネラーが墨字を読むことについて報告しました。大阪府立の普通高校で英語の教員をしている男性のAさんは、アメリカ製の読書器カーツワイル・パーソナルリーダーで教材などの英文を読んでいます。次に、東京都の医療ソーシャルワーカーをしている、やはり男性のFさんが、「情報に直接アクセスする時代」と題し、パソコン通信と電子図書について報告しました。これらは、いずれも墨字を直接読むのではなく、電子化された情報を利用するものです。
(音声終了)

 ということで、当時、今から31年前になりますが、このような形でPCが職業上使われていた、そのようなことを推察していただければと思います。このように、墨字へのアクセスは、ITによって随分可能性が広がりました。しかし、そのITの活用は、墨字に対してだけではありません。点字や音声情報に対しても大きな貢献をしています。
まず点字です。パソコンにつないで、パソコンからの情報をPINで表示する点字ディスプレイ装置。国産第1号、最初に発売されたのが1985年、広業社通信機器製作所、現在のケージーエスから発売されたコミュニケート40という機種です。据置型でPCの端末専用です。40マスの点字表示部を備えています。

 次は、1986年にアメリカのテレセンサリー・システムズ社から輸入されて販売が開始されたバーサブレイルという可搬型の装置です。パソコンにつないで情報をPINで表示する、20文字分の表示部があるのですが、表示することもできますし、同時に、六点キーを備えていて、点字を打って、中に蓄積して、それを編集したりすることもできる、そういう装置でした。カセットテープに点字データを収録する方式だったのですが、カセットドライブが付いていたということで、録音機としても使えた。コンピュータ端末、点字機器、録音機器、このような具合に、複数の用途のある装置としてアメリカから輸入をされた、これがバーサブレイルという機械でした。これらは当初、主にパソコンからの情報を読み取るために使われていました。取り分け、プログラミング作業などで有効に活用されていました。

 次は点字プリンタです。これは、ESA731という、日本で最初に開発された点字プリンタです。1981年に白雷商会、現JTRです、こちらが発売をしたものです。1秒間に10マス程度の印字速度、点字を印刷するだけではなくて、六点キーを備えていて、コンピュータに点字で情報を入力することもできた、そういう装置でした。

 次は、1986年に、これもテレセンサリー・システムズなのです、オプタコンの開発会社、テレセンサリー・システムズは、先ほどのPINディスプレイ装置も作っていましたし、このプリンタも開発をしました。輸入販売が開始された。こちらは、印字速度が1秒間に40マスと非常に速かったのです。国産機は10~15マス。ということで、一時期、日本製からこのアメリカ製に皆が乗り換えた時期もありました。この点字プリンタは、今では点字図書の印刷などに使われるのが多いようですが、当時はコンピュータからの情報を打ち出すために使われていた。取り分け、プログラマーによってプログラミングのツールとして使われていた。当時はそういう状況でした。

 それから、こういう点字関係のハードウェア、装置だけではなくて、点字を処理するためのソフトウェアもこの時期開発されました。最初は点訳ソフトです。パソコン上で点訳ができるようになって、点訳の効率が飛躍的に向上しました。それに伴って、点字での情報提供、学習用の資料であるとか職業で必要な資料が、点字でそれまでに比べるとはるかに能率よく提供されるようになっていきました。最初に開発された点訳ソフトは、1987年の「コータクン」というソフトです。翌年には「ブレイルスター」、星加恒夫さんという視覚障害当事者が開発したのですが、この星加恒夫さんは、先ほど出てきた職能開発センターのワープロソフト「エポックライターおんくん」の開発にも関わった人です。1990年にはフリーウェアの点訳ソフト「BASE」が公開されました。

 パソコンで点訳することをパソコン点訳と言いますが、パソコン点訳の普及に一番貢献したのは、日本アイビーエムが開発した「BE」、BrailleEditと言うのでしょうか、「BE」だと思います。これが開発された背景ですが、1988年に、日本アイビーエム社が社会貢献の一環で「てんやく広場」という通信ネットワークを作ったのです。点訳のための通信ネットワークです。全国の点訳者が、PCで点訳をしたデータを通信回線でやり取りをする、東京のホストコンピュータに集約をし、それを地域の点字図書館に逆に送って、そこで印刷をして提供する。そういう「てんやく広場」というシステムのために開発をされたのが、この「BE」という点訳ソフトだったのです。ちなみに、この「てんやく広場」が発展をして、現在の「サピエ」、視覚障害者情報総合ネットワークに発展しています。そうした点訳ソフトは、点訳のためだけではなくて、視覚障害当事者がPCで点字を書いたり読んだりするツールとしても広く普及をしました。

 また、自動点訳ソフト、墨字を点字に自動的に変換する、もちろん100%完璧な点字にはならないのですが、そういう自動点訳ソフトも開発されました。1989年に、言語工学研究所が「がってんだ」、ちょっと変わった名前ですね、「がってんだ」という自動点訳ソフトを製品化しました。同じ年には、福祉システム研究会、これは技術者、研究者の組織したボランティアグループなのですが、ここが「80点」という名前の自動点訳ソフトを公開しました。点訳精度が80点ぐらいなのではないかということで多分付けられた、非常に謙虚な名前だと思うのですが、このようなものもありました。そして、1991年には、今でも自動点訳ソフトの代名詞とも言えるような「EXTRA」がアメディア社から発売されて、今も発展し続けている。点訳者にも使われていますし、視覚障害者が独力で点字資料を作ったりするのにも使われています。

 そして、音声情報に関しても、1990年代にデジタル化が進みました。「DAISY」(Digital Accessible Information SYstem)、これは視覚障害者等のためのデジタル録音図書の国際規格なのですが、これの開発は1990年にスウェーデンで始まりました。その後、スウェーデンと日本が中心になってシステムの開発を行い、世界中への普及を図りました。今では世界中で、この「DAISY」が録音図書の統一規格として便利に使われています。

 1998年には、世界初のDAISY用の再生機が開発されました。日本製です。プレクスター社、現在のシナノケンシ社が開発をした「PLEXTALK TK300」という装置です。今、スライドで見ていただいているこの機械です。これが1998年、世界最初のDAISY再生機です。このような具合に、墨字へのアクセスだけではなくて、点字や音声情報の利便性も、ITが著しく効率よくしたのでした。そういう歴史が1980年代から1990年代にかけてあったわけです。

 こうしたIT利用の活用の進展とともに、視覚障害者の職域も広がりました。最後にそのことを見てみたいと思います。
 どういう形でどのくらい職域が広がったかというデータはなかなかないのですが、簡単に御紹介をします。1970年代から1980年代にかけて、それまではなかった事務系、あるいは情報系の視覚障害者のための教育訓練体制が、少しずつ整備されていきます。今、御覧いただいているのはその歴史です。これを簡単に読み上げます。要点だけです。

 1972年、日本ライトハウスが、職業・生活訓練センターに情報処理科を開設しました。1980年には、国立職業リハビリテーションセンターが、職業訓練部電子計算機科への視覚障害者の受入れを開始しました。1981年、日本ライトハウスの情報処理科が、他の訓練科とともに、大阪府身体障害者職業訓練校からの特別委託訓練となりました。公的に事業となったということです。

 さらに、1984年には、日本盲人職能開発センターが六点漢字方式の日本語ワープロ、先ほど御紹介しました「エポックライターおんくん」ですが、これを自主開発し、録音速記事業と録音速記者養成に導入しました。1991年に、筑波技術短期大学に情報処理学科が開設されました。これは職業教育のほうです。そして、1992年には、大阪府立盲学校専攻科に情報処理科が開設されました。1993年には、職業リハビリテーションセンター電子計算機科がOAシステム科に改組されました。このような形で、徐々にではありますが、それまでの理療関係以外の職域のための教育訓練体制が整備されていったわけです。

 最後に、では、どのくらいの人たちがそうした新しい分野で就職したかを見てみることにします。2つの職業訓練施設、日本ライトハウスと国立職業リハビリテーションセンターからの就職者、復職者の数をお示しします。1973年から3年ごとの、就職・復職者の全数、そのうちの点字使用者数、その他の者(ロービジョン者)数です。これを読み上げます。

 1973年から1975年までの3年間は、就職・復職者は5人、うち点字使用者は0人。1976年から1978年は、就職・復職者は3人、うち点字使用者は1人。1979年から1981年は、全体で4人、点字使用者は1人。1982年から1984年は、一気に増えまして、全体で14人、点字使用者は4人。1985年から1987年は、全体で18人、点字使用者は6人。1988年から1990年は、全体で16人、点字使用者は9人。1991年から1993年は、全体で14人、点字使用者は8人。最後の1994年から1996年は、全体で14人、点字使用者は3名です。これを合計しますと、1973年から1996年までの間の就職・復職者は、全部で88人、そのうちの点字使用者は32人です。これが、ふたつの施設からの事務系、情報系への就職・復職者の数です。

 それまでは、この分野での就職事例はほとんどなかったと思います。墨字の処理ができない、情報を円滑に処理できないということで、事務系での就職はほとんど困難とされていた。そうした中で、訓練、教育のシステムが少しずつ整い、そこからの就職、復職者が、1980年代から1990年代に生まれた。このことからも、ITの活用が有効だったことを読み取っていただければと思います。

 最後は急いでしまいましたが、1980年代から1990年代のIT活用の進展、そしてその効果について、振り返ってみました。御清聴ありがとうございました。

○石原 長岡先生、ありがとうございました。今、お時間のほうが、11時25分になっております。休憩時間を5分取らせていただきまして、次の開始は11時30分からお願いいたします。

■講演③「視覚障害者を取り巻く社会環境の変化とICTを活用した就労」

○石原 皆様、御準備はいかがでしょうか。これより、講演③に移りたいと思います。演題は「視覚障害者を取り巻く社会環境の変化とICTを活用した就労」、演者は、社会福祉法人日本盲人福祉委員会常務理事の指田忠司先生です。先生は、1992年から2019年3月まで、障害者職業総合センター研究員として視覚障害者の職業問題、障害者差別禁止法、障害者権利条約などについて研究をされてこられました。1994年からは、インターネットを利用した国内外の研究者との交流、日本盲人福祉委員会では各種調査研究のほか、WBU、世界盲人連合日本代表として、視覚障害者の国際交流に努められています。では指田先生、よろしくお願いいたします。

○指田 皆さん、こんにちは。ただいま御紹介いただきました指田です。今日の演題は、主に視覚障害者を取り巻く社会環境の変化、それを踏まえてICTを活用した視覚障害者の就労の状況がどうなっているのかということです。

 まず初めに、私自身のITの活用状況を少しお話したいと思います。先ほど御紹介いただきましたように、1992年から障害者職業総合センターで研究を行ってきましたが、その当時の職場環境は、先ほど長岡先生からもお話がありましたMS-DOSとPC-9801をベースに、音声合成装置VSU(FMVS101)と斉藤正夫さんが開発された画面読み上げソフトVDM100を使って音声を出して文章を読み書きしていました。もう1つは、国立身体障害者リハビリテーションセンターが開発したDOS対応音声ワープロソフトNRCD-Penを使ってワープロで文章を書いていました。ただ、技術的な支援だけでは難しいということで、当時はジョブパートナーという名前でしたけれども、支援者を週に12時間ほど配置していただいて、墨字文章の読み書きと点訳や、OCRソフトを使って文書をテキスト化する、そういう作業をしていただいておりました。こういった環境で働いていたのですが、その後は、先ほども御紹介がありましたように、インターネットを活用した情報収集、海外との交流なども始めるようになりました。現在の変化については、後ほどの話の中で触れてみたいと思います。

 今日のテーマについて、大きく3点お話いたします。1番目は、各種の支援によって視覚障害者の雇用が進められてきているということ、2番目は、それを支えている法的な枠組みがどうなっているのかということ、3番目としては、ICTを活用してどのように実際、視覚障害者が就労してきているか、そして具体的な課題としては何があるのかということをお話いたします。

 はじめに各種の支援の状況ですけれども、1番目に職業訓練、2番目としては就職の支援、3番目としては企業内での支援について話してまいります。

 まず、職業訓練についてですが、訓練を提供する主体によって分けてみます。1番目としては、国立障害者リハビリテーションセンターと国立職業リハビリテーションセンターの2つがあります。障害者リハビリテーションセンターでは、あん摩・はり灸師の養成、つまり、中途失明者に対する理療教育を行っております。これは、戦後間もなくから当時の光明寮という施設でやっておりました。現在は、就労支援の一環として理療教育が続けられております。国立職業リハビリテーションセンターでは、先ほど長岡先生から御紹介がありましたが、主にコンピュータ・プログラミング、それから視覚障害者用支援機器の利用技術の訓練コースがあります。このほか岡山県の吉備高原にも国立職業リハビリテーションセンターがあり、同様の訓練を行っております。さらに、障害者を対象とする公立の訓練校がありますし、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の運営する一般の職業訓練校で障害者を受け入れる場合があります。このように国立、公立の施設あるいは独立行政法人の提供している職業訓練があります。

 2番目の提供主体は、日本視覚障害者職能開発センターや日本ライトハウスの視覚障害リハビリテーションセンター 職業訓練部の職業訓練が挙げられます。これは社会福祉法人が、視覚障害者に対する福祉サービスの一環として職業訓練を行っている形態です。

 3番目のグループとして、NPO法人等が行っている訓練もあります。東京ですと視覚障害者パソコンアシストネットワーク(SPAN)があったり、あるいは北海道、東北、九州、その他の地域で活動するNPO法人が訓練を提供しています。在職訓練については、東京の方については東京都しごと財団の委託を受けて、都内のNPOなどが訓練を提供しています。特に視覚障害者就労生涯学習支援センターはかなり熱心に取り組んでいるようです。最近調べたところでは、視覚障害リハビリテーション協会によれば、国立、公立を含めて約15の施設が視覚障害者に対する職業訓練を提供していると言われております。

 次に、就職支援についてですが、主に公共職業安定所(ハローワーク)が職業紹介をしております。ハローワークは全国に450以上あり、国が求人、求職の情報を提供しています。求職者は求職登録をして、ハローワークの担当者から職業紹介を受けます。求人情報については、インターネットでも提供されております。

 次は、地域障害者職業センターです。独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構という所が各都道府県に設置している機関で、視覚障害者だけでなく身体障害者、知的障害者、精神障害者、さらに発達障害者の方々への就労支援のサービスを提供しております。地域センターでは、ハローワークの職業紹介と連携して支援サービスを提供しております。

 さらに民間機関による職業紹介のサービスも最近では活発です。つまり、公共職業安定所という公的な機関ではなく、民間団体が職業情報を提供したり、あるいは様々な情報提供とともに、面接会などを開催している等、障害者に特化したサービスを提供しています。

 職業紹介の後は、職場定着の支援についてお話いたします。これは、職業に就いた後にその職場にどう定着していくのか、どのようにして仕事を効率的に遂行するか、そのための支援です。1つ目は、まず環境づくりがあり、いわゆる支援機器を導入していくわけですけれども、その支援機器をどのように整えていくのかということがあります。これは、経済面での支援もありますけれども、もう1つはやはり職業訓練機関からの指導員の先生方の助言を基にして、職場での機器を整備していくということが必要になってきます。

 2番目としては、ジョブコーチ(職場適応援助者)の支援があります。ジョブコーチの制度は20年ぐらい前からできておりますけれども、視覚障害者専門のジョブコーチはまだまだ少ないのが現状です。しかしながら、職業訓練を行っている指導員の先生方も含めて、視覚障害者が職場に入っていくための機器の整備とともに、職場での作業をどのようにしていくのか、機器の活用法とか、職場内の作業の段取りをどう変えたらいいかとか、そういったことを助言していく役割が必要になってきます。その役割をするのが、ジョブコーチという制度です。これは、もともとは1980年代に、アメリカで知的障害者の雇用支援のために開発されたプログラムですけれども、これを参考にして、日本でも1988年ぐらいから行われているのですが、具体的に制度化されたのは1990年代です。こうした導入の経緯からいって視覚障害者専門のジョブコーチは多くはありません。この職能開発センターの職員の方、指導員の方、あるいはその他の団体でジョブコーチの資格を取られて、視覚障害者を専門にサポートしている方が徐々に増えてきております。

 それから、企業内には、外部の人が入っていくだけではなくて、企業の中にいて視覚障害者の立場を理解し、視覚障害者が困ったことについて相談していく、そういう制度があります。これは、雇用支援機構で研修会を行ったりして、視覚障害だけではありませんが、障害者の従業員に対して様々な相談に乗ったりするほか、従業員だけではなく上司や管理職の方なども含めて、障害者に対してどのように対応していくのかといったことを専門に扱う役割の方が配置されています。このように、視覚障害者の職場定着には、外部の方や内部の方の支援が行われています。

 次は、法的な枠組みについてお話をしたいと思います。ここでは障害者雇用率制度、欠格条項の撤廃、そして障害者権利条約の制定と実際の運用について順次短くお話させていただきます。

 障害者雇用率制度は、1960年から導入されましたが、1976年から制度が大きく変わって、単に障害者雇用の努力目標を定めるだけではなく、目標を達成しない場合には、雇用納付金という、一種の罰則が課されるようになりました。この制度の目的は、社会連帯の下に障害者にも等しく働く機会を提供していこうということです。そのためには、一定の規模の事業所にはある程度、何パーセントかの障害者が参入できるようにしていくべきだという考え方があり、これは、ヨーロッパを中心とした、特に1920年代、つまり第一次大戦後の立法政策として考えられたもので、国際労働機関(ILO)なども含めて障害者を社会連帯の下に雇用していこうという制度です。現在はドイツ、フランスなど、それからアジア諸国でも導入されています。日本においては、義務化された当初の障害者雇用率が1.57%だったと思います。それが徐々に引き上げられて現在民間企業では2.2%になっています。カバーする障害者の範囲は、従来の身体障害者から知的障害者、精神障害者へと雇用率の算定の基礎が拡大しております。

 2番目の欠格条項の撤廃ですけれども、これは差別禁止法制との関わりがあります。日本での欠格条項の撤廃は、1980年代から始まっております。1981年は国連が定めた国際障害者年です。この年に日本政府がやったこととして、記念の啓発イベントは当然行ったわけですが、それと並行して私の記憶にあるのは、当時の鈴木善幸内閣の下で不快用語の撤廃が行われました。不快用語というのは、不愉快になる用語です。例えば障害者を示すときに、当時の法律では「めくら」とか「つんぼ」とか書いてあったのです。それを、法律の上でそういった表現をなくしていこうと、表記のレベルから変えていこうとするものでした。もちろん、障害を理由とする差別についてはいろいろな取り組みがあったわけですけれども、まずは国の方針としてそういうことが行われました。
その後、1990年代から、特に「第1次アジア太平洋障害者の十年」のキャンペーンの一環として、1995年に「障害者プラン」というのが提示されました。その中で、障害を理由として資格試験等が受けられないとか、資格が取れないとか、そういう法律における欠格条項というのが数多くあるということで(63制度)、これを2002年までに見直すという目標が設定され、法律改正が行われました。

 障害者差別禁止法自体は、日本では十分なものがありませんでしたけれども、最終的に、障害者権利条約との関連で整備されました。この条約は2006年に国連で採択されて、日本は2014年に批准しました。その前年に、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)というのができて、ここで行政による差別の禁止と合理的配慮の提供義務、民間の場合については合理的配慮提供の努力義務が課されるようになりました。こうした法改正を踏まえて、権利条約を批准することになりました。雇用については、雇用促進法の改正を通じて合理的配慮提供の義務化が行われています。

 次は、3つ目のICTを活用した視覚障害者の就労の状況と課題です。先ほど長岡先生から1990年代までの状況をお話いただきましたが、その後の変化として職場環境が大きく変わったことがあげられます。つまり、ネットワーク環境が拡大したことです。それに相まって、基本システムがDOSからWindowsに変わったことです。ネットワーク環境の普及について見ると、1994年の調査では、ネットワーク環境を導入している、あるいは導入したいと考えている職場が約3割でした。現在は皆さん御存じのとおり、100%ネットワーク環境で仕事ができるようになっております。それに伴って、Windowsに対応した画面音声化ソフトの開発もこの25年ぐらいでかなり進んでおり、日本ではPC-Talker、JAWSのほか、NVDAなど任意団体が開発しているソフトウェアを含めて、数種類のソフトウェアが利用できます。

 こうした機器を活用しながら、視覚障害者はいろいろな業務に従事しております。コンピュータ・プログラミングや事務系職種はかなり増えており、そのほか専門職における様々な雇用機会が増えています。特に教員については、1996年の行政管理庁の勧告があって、教育委員会の雇用率の達成のため、視覚障害者の教員の採用がかなり進んでおり、現在は1,000人以上の視覚障害者が教員として働いています。もちろん、視覚障害教員の多くは、盲学校における理療科教育に従事しているわけですけれども、最近では100人以上の方が一般の小、中、高で理療科以外の教科を教えているという状況になっております。また、教員以外の専門職についてみると、コンピュータ・プログラミングについては、情報処理技術者試験(IPA)をはじめいろいろな資格試験があり、かなり上級の資格を取得して高度な仕事を担当している方も出てきています。

 これからの課題について申し上げますと、まず様々な職種へ進出していくためのスキルアップが必要です。そのための訓練の機会を提供するとともに、支援機器やソフトウェアの開発も必要であると思います。また、全盲者だけではなくて、弱視者にも様々な場面で支援が必要になると思います。特に、事業所内での採光や照明なども含めて、弱視者が仕事をしていく上での環境整備が必要です。それから、視覚障害者の資格取得の機会を保障していく必要があります。事務系職種に限らず、ほかの仕事をする上でも様々な資格が必要になりますので、視覚障害者がそうした視覚を取得できるような体制を整備していく必要があるのではないかと思います。

 最後に支援機関の課題ですが、視覚障害者の様々な仕事の可能性を追求する試みとともに、企業内での様々なトラブル、課題に対して個別的な対応を十分できるような仕組み、先ほど申し上げましたけれども、ジョブコーチの派遣、それから環境整備に向けた訓練機関としての助言の機会を充実させていくことなどが必要になってくるのではないかと思います。以上で私のお話を終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。

■質疑応答(午前の部)

○石原 指田先生、ありがとうございました。これより、質問をお受けいたします。質問のある方は、Zoomの手を挙げる機能を使って御質問ください。こちらからお名前をお呼びいたしますので、お名前を呼ばれた方のみミュートを解除してお話ください。本日は、たくさんの方に御参加いただいておりますので、御意見ではなく、どの演者に質問か簡潔にまとめて御質問ください。まずは、会場から質問のある方は挙手をお願いいたします。では、会場はいらっしゃらないようなので、Zoomで御参加の方で御質問のある方は、挙手をしてください。

○配信係 では、宇田川浩一様、お願いいたします。ミュートを解除してお話ください。

○宇田川 聞こえますか。

○配信係 聞こえております。

○宇田川 どうも皆様、本当に素敵なお話をありがとうございました。私、タートルでお世話になっております宇田川浩一と申します。仕事は、特例子会社で事務系のお仕事をさせていただいています。質問なのですけれども、最後にジョブコーチに関してお話された先生に質問なのですが、私どもの会社で委託訓練や実習制度などがあり、この度、私、会社のほうで認めていただき、ジョブコーチの資格を取らせていただけることになったのです。私はもちろん視覚障害で、自分自身も音声パソコンを使って、JAWSを使ってお仕事をしているのですが、先ほどもお話がありましたけれども、ジョブコーチの資格を持っている方はたくさんいらっしゃるのですけれども、「視覚障害者に特化したジョブコーチが」という気持ちは、私もいっぱい、ずっと感じている部分があります。「だったらそういう世界に足を」ではないですけれども、そういう人間に私もなりたいなと思いまして、今そういう行動を起こしているのですが、ここを一番気を付けてほしいとか、ここを本当に考えてほしいとか、そういう部分ってあったりしますか。お答えをお願いいたします。

○石原 ジョブコーチに関連したことなので、指田先生、お願いいたします。

○指田 私自身はジョブコーチの資格を持っていませんが、ジョブコーチの研修を行ってきた経験からお話しします。まず、ジョブコーチの研修では、先ほど申し上げた雇用率制度から、対象となる様々な障害の特性まで、総合的な研修をいたします。従って、ジョブコーチは、障害者雇用の全般的な状況をまず理解していることが必要です。その上で、視覚障害者向けの専門的な支援の在り方を検討し、実践していくことが求められます。

 全般的な話になりますが、障害者雇用と支援の在り方について総合的な理解が必要になると思います。職場での支援については、障害特性に特化した対応が求められていますが、支援には共通の部分がかなりあります。そのことを研修でしっかり学んでいただいたほうがいいかなと思います。

 それから、実際、視覚障害者の支援に当たる場合には、障害程度、技能などを個別的に評価して、どのような支援が必要か、また、事業主が何を求めているのかを明確にした上で支援に当たるのがいいと思います。要するに、視覚障害当事者の能力と職場環境を提供している事業主側の対応、さらに、どのような仕事をするかを個別的に見極め、必要な助言をしていくという、正に個別対応が必要だと思います。その意味では、視覚障害当事者、事業主とのコミュニケーションが非常に大切です。以上です。

○宇田川 ありがとうございます。もう一点よろしいでしょうか。私は今回、企業在籍型として受けさせていただくことになったのですけれども、やはり訪問型のほうが利便ではないですが、いろいろな人のニーズに応えるというところに関しては、やはり訪問型のほうがよろしいのでしょうか。

○指田 それは一言では答えにくいですね。視覚障害者が多く働く場であれば当然、企業内でのジョブコーチとしての仕事もあると思うのですけれども、状況によって変わってくると思います。視覚障害者が職場にたくさんいるのであれば、そういう必要が出てくると思います。ジョブコーチの基礎資格の上で、特例子会社で仕事をするのならば、どのような障害にも対応できるように心掛けたほうがよろしいのではないかと思います。

○宇田川 ありがとうございます。

○石原 次の質問者の方は。では、お時間になりました。今日は、「目が見えなくなっても心の自由は奪われない」という言葉にすごく感動して聴いておりました。渡辺先生、長岡先生、指田先生、今日はありがとうございました。では、総合司会の中西さんにマイクをお返しいたします。

○中西 総合司会の中西です。午前中、皆様お疲れさまでした。私も懐かしいなと思いながら、いろいろと写真を見たり音声を聴いたり、いろいろ思いながら、そして参考になるなと思いながら拝聴しました。それでは、お昼を回りました。これから休憩に入りたいと思いますが、13時からまた再開いたします。13時からまた再開いたしますので、よろしくお願いいたします。それでは休憩です。

■午後の部

○中西 皆様、総合司会の中西です。これから午後のセッションに入りたいと思います。まずは、高知システム開発の方に、今までの音声読み上げソフトなどの御紹介と言いますか、展望などについてお話をしていただきます。その後、パネルディスカッションをいたしまして、閉会式という流れになっております。午後の進行ですが、国立特別支援教育総合研究所特任研究員の大内進先生にお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○大内 まず、簡単に私の自己紹介をさせていただきます。盲学校の教員を経て、国立特別支援教育総合研究所で、視覚障害教育のいろいろなことについて従事しておりました。こちらの施設とも、オプタコン等の関わりから、ずっと長い間お付き合いをさせていただいております。よろしくお願いいたします。

 最初にパネルディスカッションの趣旨について簡単にお話をして、パネリストの皆さんを紹介した後、それぞれお話をしていただきたいと思っております。視覚障害の方の職業開拓ということには、かなり古い歴史があります。盲学校ができた1924年当初から帝国盲教育会という盲学校教員の会があって、その第2回の総会で、既にはり・きゅう・あん摩・マッサージと、音曲以外の視覚障害者の職業の開拓が話題になっています。そこからいろいろな議論が進んできて、明治後期から大正初期にかけては、新職業の開拓ということでいろいろな取組がなされて、実際に実行に移されてきたということがあります。その後、様々な取組がなされてきました。現在に至って、視覚障害の方の一般的な職業教育という分野で、学校教育の段階からきちんと養成がなされるようになっているのは、はり・きゅう・あん摩・マッサージ、音楽、情報教育等ですが、残念ながら、はり・きゅう・あん摩・マッサージがまだメインの状況にあります。

 ところが、この状況がこの数年で変わってきています。ICTの非常に大きな進展があって、ICTを使うことで、視覚障害の方の「三大不自由」と言われているものの1つ、コミュニケーションの障害の壁が非常に低くなってきたのが大きな特徴です。それをきっかけに職業開拓も進んできているというか、進む可能性があるのではないかという観点から、このパネルディスカッションを考えていこうということになりました。
そういうことで進んでいくわけですが、その前段として、視覚障害関係のICTの進展との関連、音声読み上げソフトの開発の歴史について御講演を頂くことになっております。まず、そちらのほうのお話を伺って、それからパネルディスカッションに移っていきたいと思います。それでは北林先生、お願いします。

■ビデオ講演「音声読み上げソフトの開発の歴史、入力方法の変遷と今後の展望」

○北林 職能開発センターの北林です。講師の田中さんのプロフィールというか、紹介をさせていただこうと思ったのですけれども、メールをして「プロフィールをちょっと書いてくれ」と言ったら、「ビデオの中で全部自己紹介をしているから、あなたは飲んだときの話でもしてくれ」ということなので、真に受けて話させていただきます。

 田中さんには本当に救われているのです。2階の議事録を作る、いわゆる速記の仕事ですね。昔は「テープ起こし」と言っていました。そこで武器になっていた速記入力、つまりフルキー六点漢字入力が、MS-DOSの時代には「でんぴつ」という武器があったのですけれども、何とWindowsになったら、「でんぴつ」がうまく動かなくなってしまったのです。これはもうどうしようもないと。武器がないと速記ができない、変換ではとてもではないけれど速記ができないということで、もうここはお願いに行くしかないということで、これは仕事として行くとうまくいかないのではないかと思って、2004年に休暇を取って自腹で、まず社長さんに直談判しました。しかし、社長さんはそこでは全然聞いてくれなくて、料理屋に田中さんも一緒に行って、その場で「もう分かった、分かった。キナンは分かった」と。「キナン」というのがよく分からないのです、土佐弁ですから。「田中に直接言っていい」ということで、それからはもう田中さんに、KTOSをこういうように作り替えてくれということをお願いして、今日に至っています。かなり無茶なお願いをしてきたのですけれども、嫌がらずやっていただいております。

 その料理屋、社長さんはそこでもう帰ってしまったのです。その後は旅の疲れで、ほとんど記憶のないような状態だったのですけれども、ふと気が付いたら、ウサギさんのいるお店、ウサギさんと言っても人間のウサギさんですけど、そこにいた。そのような感じで、そこからの付き合いが、2004年からですから、もう16年あるということです。無償でやってくれているのですけれども、田中さんがいなければ2階の仕事は成り立たないということで、本当に感謝しています。当然、大田社長にも感謝していますけれども、お二人に敬意を表したいと思っています。ありがとうございます。何かそこにいるような感じがしますが、実はビデオです。

 あと、これだけは言っておきたいのですが、このお二人は「分かった」と言ったら、後は変えないですね。ずっとやってくれる。それを「イゴッソウ」と言うのではないかと思います。ちなみに、うちの施設長は伊吾田さんですけれども。以上で紹介を終わります。

○田中 皆さん、こんにちは。高知システム開発開発部の田中です。この度は日本視覚障害者職能開発センター創立40周年、誠におめでとうございます。40周年という記念すべきセミナーでお話させていただくこと、大変光栄に存じます。本日は私の個人的な用事でビデオでの参加となってしまい、皆さんと直接お話できないことが残念で申し訳ありません。

 まず、私のことを少し紹介させていただきます。当社にはUターンしてからの入社になります。それから開発に従事し、27年がたちます。現在はPC-Talker、KTOS、BrailleWorksのプログラム、MyシリーズのアプリケーションではMyEdit、MyMailのプログラムを、ほかの開発メンバーとともに担当しています。

 今回の講演のテーマが「音声読み上げソフトの開発の歴史、入力方法の変遷と今後の展望」ということで、読み上げソフトの話はAOKワープロに始まってPC-Talker、入力方法の話は点字入力にフォーカスしてお話します。私の入社以前の歴史は、当社社長の大田からお聞きした内容を基に、開発エピソードなども交えながらお話したいと思いますので、よろしくお願いします。では、本題へと進みます。ここからはスライドをお見せしながらお話します。短い時間内で話す時間配分もあるので、作った原稿に沿う形で進めさせてください。

 日本で初めて視覚障害者が実用可能になった読み上げソフトの第1号は、「AOKワープロ」です。AOKワープロの「AOK」の由来は、御存じの方も多いと思いますが、AOKワープロ開発者3人の頭文字です。高知盲学校の教諭であった有光勳先生の「A」、大田社長の「O」、高知盲学校教諭だった北川紀幸先生の「K」で「AOK」です。しかし、音声で何でもできる「All OK」の意味から名付けられたのが本当のようです。

 そのAOKワープロは1984年、今から36年前に誕生しました。ただ、この初期バージョンでは輸入品の外国製の音声装置を使ったそうです。ですので、アルファベットを無理矢理、日本語っぽく聞こえるように処理していたので、とても聞き取りにくく、音声スピードも遅く、実用レベルになかったと聞いています。そのため、製品化はされていないです。高知盲学校とか、その一部で試されたということです。

 これでは駄目だということで、自社製のAOK音声装置を開発し、1985年に「AOK日本語ワープロ98」の販売を開始しました。このときのAOK音声装置には、富士通の音声ボードを採用しました。この音声ボードは片仮名しか出力できなかったので、日本語の構文解析は当社で処理を組んでいました。富士通の音声ボードは当時の機械合成音では聞き取りやすく、もともとマイコンや基盤回路の設計技術も持っていた社長が、自社で音声装置の設計開発をするに当たって、このボードを採用したそうです。

 それから8年後の1993年、NECのノートパソコンに小型の音声装置を装着した「AOKノート」を発売し、翌年、AOK音声装置をバージョンアップして、「AOK日本語ワープロ3.0RV」を発売しました。私が入社したのは、このAOKノートが発売された後ぐらいです。入社の面接で、AOKノートの読み上げ音声を聞かせてもらったのですけれども、正直聞き取るのが難しかった記憶があります。AOKノートとそのバージョンアップしたAOK音声装置には、NTTデータのICチップが搭載されました。このチップでは日本語の構文解析ができたので、ソフトから漢字仮名交じりで出力が可能になったのが大きかったですね。音声は肉声に近づき、男性音と女性音が選択できるようになりました。このICチップを搭載する音声ボードのプリント基板は、全て社長が設計しています。また、NTTデータに頼んで、音声スピードや単語の読みを当社専用に改良してもらって、かなり開発費の掛かったICチップでした。

 では、前もって撮影しておいた、AOKワープロのビデオを見てください。

(ビデオ開始)
○田中 機械音から録音しています。フロッピーディスクからソフトを読み込んでいる音です。

○音声 AOKバージョン3.0RV。開く。

○田中 AOKの起動メニューが開きます。

○音声 メニュー、漢字交じり文。カナ点字文、辞書登録。

○田中 メニューの内容です。

○音声 システム管理、プログラム終わり。漢字混じり文、プログラム準備中。

○田中 漢字混じり文のワープロを開いています。

○音声 フルキー、サイズA4、クリア。

○田中 最初に、拡大倍率の切替えを操作しています。

○音声 拡大1、拡大2、拡大3、普通どおり。拡大1。

○田中 少し文章を入力してみます。

○音声 ……にほん→漢数字の二、本箱の本、日曜日の日、本箱の本。しかくしょうがいしゃ→視覚の視、視る、覚悟の覚、覚える、障害者の障、障り、損害の害、学者の者。しょくのう→職業の職、能力の能。かいはつ→開始するの開、開く、発明の発。片仮名、センター。平仮名、そうりつ→創立の創、独立の立、立つ。40。しゅうねん→周囲の周、周る、年末の年、年。おめでとうございます。

○田中 次に、構文の成文読みを実行します。

○音声 日本視覚障害者職能開発センター創立40周年おめでとうございます。終わり。……、トップ。拡大2、拡大3、普通どおり。
(ビデオ終了)

○田中 どうでしょう。懐かしいと思われた人も初めて聞く人もいると思いますが、楽しんでもらえたらと思います。

 続いて1995年、当社はMS-DOSの画面音声化ソフト、PC-Voiceを開発、発売いたしました。当時は、アクセステクノロジーの斎藤社長が開発されたVDMがMS-DOS市場を席巻していましたので、VDMが使用していたVSU音声装置対応のPC-Voiceも後から開発しました。そして1998年、WindowsスクリーンリーダーのPC-Talkerを発売します。

 このとき、VDMのアクセステクノロジーと当社は、プログラム開発は当社が行って、VDMユーザー用にカスタマイズしたスクリーンリーダー、VDM100Wをアクセステクノロジーが販売・サポートする、OEM協力体制を築きました。私は当時、この業界では画期的な関係を築けたと思いましたし、開発者としての責任は重くなりますが、斎藤社長から私たちの開発したソフトへの御意見を頂戴できる、その先のわくわく感のほうが強かったことを思い出します。

 Windows上の読み上げは、音声装置から音声合成ソフトに代わります。PC-Talkerが採用した音声合成ソフトは、IBMのProTALKERです。AOK音声装置よりも更に肉声に近く、聞き取りやすい音質が採用の決め手となりましたが、VDMの音声装置や、既に販売されていた95Readerのユーザーからは、ProTALKERのスピードやレスポンスが遅いと散々言われました。確かに、当時の平均的なパソコンのスペックだとProTALKERは軽快ではなかったかもしれませんが、それ以上に、この音声のクオリティが、当社が求めるものと一致したのが大きかったのです。音声のレスポンスについては、パソコンの処理能力が上がって、時代が解決してくれるだろうと思っていました。

 その後、Windowsのメジャーバージョンアップとともに、PC-Talker XP、Vista、PC-Talker 7、8、10、Neoと、バージョンアップを行っています。PC-Talker XPの頃に「Misaki」や「Show」といった名前のVoice Text音声を、追加オプションで発売しました。今のPC-TalkerにはVoice Text音声が標準で付いていますが、最初は「VT+」という製品名でオプション販売しました。Voice Textの音声は、「コーパスベース」といって、人間の声を録音したデータが基になっているので、より人間らしい自然な音声で読み上げることができるようになりました。このクオリティに驚き、すごく聞きやすくなったという声の一方で、このときもProTALKER以上に重い、レスポンスが遅いと評価されました。Voice Textは音声のデータサイズが大きくなるので、どうしてもハードディスクの読み込みで遅くなります。ハードディスクからSSDが主流になりつつある今では、Voice Textの音声がストレスなく使用できるようになりました。そして最新のPC-Talker Neoでは、Voice Text音声の高品質版も搭載しました。高品質版では、データのサンプリング周波数が、それまでの16kHzから44kHzになっています。ちょうどAMラジオの音の品質から、音楽CDの品質に上がったと思ってください。

 次に名前の話です。PC-Talkerはもともと開発中の仮の名前で、深く考えず、MS-DOSの「PC-Voice」という名前と、音声装置の代わりが「ProTALKER」になることから、単純に2つを合わせて「PC-Talker」と付けて開発を始めたのですけれども、それがそのまま正式な製品名になりました。今では日本の多くの視覚障害者に知っていただいた名前となって、何か自分の子供が芸能界に入って有名人になったかのような、そんな感覚があります。

 以上、最初に当社の読み上げソフトの歴史を紹介させていただきました。AOKの音声装置に始まり、WindowsになってからはProTALKER、Voice Textの音声と、一貫して当社は音声にこだわりがあります。当社の製品を購入されたユーザーにとって、その後、ずっとお役に立つ音声ですから、できるだけ人間っぽくて聞き心地の良い音声を、その時々で選択してきました。ユーザーの中には音声スピードやレスポンスを重視する方もいますが、年齢とともにスピードも遅めになってくると聞きますし、耳に負担をかけず、これからも愛用してほしいと思っております。

 続いて、入力方法の話に移ります。AOKワープロの開発当初は、まだパソコンで漢字変換ができなかったので、六点漢字による直接漢字入力から始まりました。キーボードのFDSJKLの6つのキーを使って、六点漢字を入力します。これを「点字キー入力」と呼びますが、パソコンの点字キー入力は、もともと長谷川貞夫先生が考案・開発された入力方法です。AOKワープロでは、この入力方法を拡張し、点字キーとスペースキーを組み合わせて入力する点字コマンドを搭載しました。また、点字キーの近くにあるキーを押してコマンドを実行する点字周辺キーコマンドもあり、いわゆるホームポジションキーから手が離れることなくコマンド実行ができるようになり、格段にソフトの操作性が向上しました。このコマンド実行方法は今の製品にも受け継がれ、変わることなく便利に使われています。

 MS-DOSのPC-Voiceになって、点字入力は独立したソフトウェアになります。それが、今もPC-Talkerの付属アプリになっているKTOSです。PC-Voiceのときに、点字キー入力のほか「フルキー六点漢字入力」を追加しました。北川先生にお願いして、当社独自のフルキー六点漢字方式を考案してもらって搭載しました。ただ、フルキー六点漢字入力は、既にニューブレイルシステムの星加社長が開発して、VDMユーザーに使われていた方式が標準仕様になっていましたので、PC-Voiceには浸透しませんでした。

 今のKTOSは点字入力ソフトとして認知されていますが、PC-VoiceのときのKTOSは、2つのドライバーソフトの名称でした。その2つのドライバーは、1つがAOK音声装置への出力を担当する音声出力ドライバー、もう1つが点字入力を担当する点字入力ドライバーです。名称で言うと、音声出力ドライバーのKTOSは「Kana kanji TO Speech」の略称で、点字入力ドライバーのKTOSは「Kana kanji Tenji Operation System」の略称ということになっています。AOK音声装置は使わなくなって、音声出力ドライバーの機能は要らなくなり、点字入力のKTOSが残って今に続いているというわけです。

 略称の話ついでですけれども、ジャストシステムが販売している日本語変換のATOKは、皆さん御存じの方も多いと思います。このATOKは「Advanced Technology Of Kana-kanji Transfer」の略称です。この略称の意味はATOKの後になってからで、それまでは多分「Ascii TO Kanji」の略だったと思います。よく言われる有名な話に、ジャストシステムを創業した徳島県から阿波の「A」と徳島の「TOK」で「ATOK」という由来説もあります。そこで皆さん、何かお気付きになりませんか。KTOSは高知の「K」と土佐の「TOS」で「KTOS」ということです。これはKTOSの名付け親である私が言うのですから、間違いありません。

 1998年、PC-Talkerでの点字入力システムの開発は、六点漢字入力用のKTOSと、漢点字入力用のKTOS8の2系統になります。現在のPC-Talkerは、六点漢字と漢点字の両方の入力が利用可能ですが、当初、KTOS8が付属するPC-Talkerのほうは、徳島漢点字協会を通じて販売しました。当社が漢点字に対応できた価値というのは大きく、その後私は漢点字の学習者交流会に何度も呼んでいただき、漢点字ユーザーとの交流を深める中で、当社が点字入力をサポートし続ける意味とか、次の世代に継承するツールとしての役目もあることが改めて実感でき、本当にうれしく思っています。

 「フルキー六点漢字入力」ですが、PC-Talkerになって当社独自の方針をやめて、ニューブレイルシステムや吉泉豊晴氏が開発したDMKの仕様に一新しました。また、フルキー六点漢字を参考にして、漢点字ユーザーと一緒に入力方法を考えた「フルキー漢点字入力」も開発しました。このフルキー六点漢字入力がその後、職能開発センターと深く関わってくるとは、このとき私は思っていなかったのですが、2004年に職能開発センターの北林さんが、KTOSへの御要望を持って当社に来られました。

 KTOSには、あらかじめ登録した単語をスピーディーに入力する単語入力コマンドがあります。例えば、仮名文字キーの「こ」に「高知システム開発」と登録しておけば、「こ」を押すだけで一気に「高知システム開発」と入力できるというコマンドです。この単語入力コマンドのショートカットを6個に増やすことで、それまでの6倍の数の単語登録ができるように改良してほしいという御要望でした。あと、登録文字数を増やすことや登録画面を素早く呼び出すことなど、いかに効率良く速記入力をさせるかに特化した御要望でした。職能開発センターでフルキー六点漢字入力の訓練を受けた卒業生や訓練をされている方の苦労を代弁する北林さんの熱い思いに、その場で「改良します」とお答えした覚えがあります。結果的にフルキー六点漢字入力の愛用者の皆さんに喜んでもらえる改良になったので、職能開発センターに感謝しているところです。

 2011年、ニューブレイルシステムの星加社長と「BrailleWorks」を共同開発したことで、点字ディスプレイからの点字入力方法を加えることができました。視覚障害のプログラマーとの初めての開発作業だったのですけれども、私の要望をすぐに実装してくれるそのスピード感とプログラミング力の高さに、本当にびっくりしました。それと、BrailleWorksの発売を境に、盲ろう者ユーザーからのメール問合せが増えたように思います。

 次に2012年、職能開発センターと共同し、「フルキーおんくん入力」を開発しました。フルキーおんくん入力については、初めて聞く方もいらっしゃると思いますので、少し説明します。先ほど、単語入力コマンドを改良した話でも言いましたが、職能開発センターの卒業生の中にはフルキー六点漢字入力を習い、速記技能を身に付け、テープ起こしなどの職に就かれている方がいます。ただ、訓練生の中には、六点漢字符号を習熟するに至らず、その意欲に反し、残念なことに途中で諦める人がいるそうです。

 2010年に職能開発センターの北林さんから、フルキー六点漢字の入力キーのカスタマイズは可能かという御相談を頂きました。その理由をお聞きしたところ、訓練生から脱落者を出したくないという願いから、点字を知らなくても漢字の読みだけを覚えて体得できるフルキーの漢字入力方法を作ってほしいという、それは熱い熱いお願いでした。そこから2年掛かりましたが、フルキーおんくん入力を開発し、職能開発センターで御使用いただいています。今では脱落者が出ることなく卒業されるという、うれしい御報告を頂いています。ちなみフルキーおんくん入力の「おんくん」は、職能開発センターが昭和59年に開発された「エポックライターおんくん」の名前から、平仮名で「おんくん」と付けています。

 最後の話題になりますが、当社の今後の開発展望です。現在発売しているPC-Talker Neoは、従来の有償バージョンアップ販売から、期間使用型の販売方法となりました。この販売形態の転換は、私どもの開発スタンスも変化させます。期間使用型では、新機能やアプリケーション対応、例えば新しいOfficeバージョンへの対応とか、ほかにもユーザーからの要望点を随時開発しながら、いつでもリリースしていくことが可能です。ですので、今後は有償バージョンアップのときのような宣伝発表はありませんけれども、使っていくうちに徐々に機能アップされて製品が良くなっていくという形を、私ども開発部が適宜していきたいと思っています。

 では具体的に、今後はどのような開発構想があるのかということですが、当社の「MyBookⅤ」では、DAISY図書を途中まで読んだら、中断した位置を自動的にクラウドサーバーに保存し、別のパソコンからでも読書を続きから再開することができます。

 また、「NetReader Neo」の機能であるYouTubeアドインには、登録チャンネルやお気に入り動画、閲覧履歴の情報をクラウドサーバーに保存して、パソコン間で共有利用することができます。このように、当社製品の一部の機能ではクラウド対応をしていっているのですが、今後はますますクラウド機能の開発に力を入れたいと思っています。

 その1つとして現在、PC-Talker Neoで開発中のクラウド機能を紹介します。PC-Talkerをお使いの方では、読み辞書への登録を活用して、読み間違いを直している人は多いと思うのですが、この読み辞書がクラウド対応になったら便利だと思いませんか。今、ユーザー登録の辞書をパソコン間で共有できる開発を進めています。

 さらに、当社で作成した読み辞書をクラウドサーバーに用意して、それをユーザー側で自動的にダウンロードし、いつの間にか読み上げが良くなっていくという仕組みも開発中です。今のところ、当社が提供する辞書として考えているのが、偉人や著名人、芸能人の名前を登録した人名辞書、難読地名や音声エンジンが読み間違う地名の地名辞書、流行語や時事用語のトレンド辞書、ほかにも理科、数学、社会の教科書に出てくる用語の学習用語辞書を考えています。辞書のメンテナンスは当社で行って、徐々に辞書を鍛えながら読み上げ精度を高めていくというサービスですが、このクラウド辞書も、期間使用型だからこそできるサブスクリプションサービス機能の1つではないでしょうか。

 以上で私の話を終わります。高知システム開発は、2年前に設立30年を迎えました。職能開発センターに40年もの長い歴史があるように、当社も30年以上の歴史があります。この講演の筋書きを作っているときには、あれもこれもと話したい記憶が湧いてきたのですが、この短い時間ではその一部しか語れていません。そこで皆さん、もしよろしければ、サピエ図書館のDAISY図書からも読むことができる『高知システム開発設立30年のあゆみ』を読んでください。視覚障害者とともに、視覚障害者に支えられて歩んできた当社の歴史を知っていただくことができると思います。ちゃっかり宣伝しておきます。

 最後になりますが、日本視覚障害者職能開発センターが、今後も視覚障害者の幸せな社会づくりのために発展することをお祈りするとともに、これからも当社の製品に御支援・御協力を賜りますようお願い申し上げ、私の講演を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

○大内 高知システムのほうからお話しいただきました。ご講演は田中様でした。
続いて、パネルディスカッションに入っていきたいと思います。時間が押しておりますので、早速始めたいと思います。今回は、現在、職場や生活でICTを存分に活用している当事者として、西田友和さんと鈴木沙耶さんをお迎えしております。それから、就労に向けてICT活用の指導に尽力されているという立場から柳田友和さんをお迎えしております。それぞれの方には、現状におけるICTの有用性や課題、その課題解決に向けた取組の状況、それでも立ちふさがる壁への対処方法といったことについて、話題提供をしていただくことになっております。それぞれの方にお話いただいた後に議論するわけですが、そこでは、当事者の努力だけでは解決できない問題も多々ありますので、社会受容という観点、社会のほうに障害者を理解してもらうという観点の重要性等も含めて、議論していきたいと考えております。

■パネルディスカッション①

○大内 それでは、まず、西田さんにお話いただくのですが、西田さんのプロフィールを紹介いたします。事前に頂いたものですが、1977年大阪府生まれ。網膜剥離を発症して、13歳のときに失明して全盲となられました。大学では文学、社会学を専攻され、卒業後には民間企業に就職して、コールセンターに集積された情報を分析し、商品開発や販売促進等に提案する業務に従事されていたということです。2015年に東京にあるロゴス点字図書館に転職され、2018年からは館長としてお仕事をされて現在に至っています。そのほか、スクリーンリーダーのNVDAの認定エキスパートとして、ユーザーの相談やサポートをボランティアで行っているということです。それでは、西田さん、よろしくお願いいたします。

○西田 御紹介にあずかりました西田友和と申します。現在、ロゴス点字図書館で館長を務めております。館長ということなので管理職という立場になろうかと思います。主な業務としては、管理的な業務、利用者の相談や新しい事業を企画する業務、今言ったような講演や執筆といった幅広い活動をしております。逆に言うと、そういう中での経験は何らかの形で皆さんに還元できるのではないかということで、今日はお話できればと思っております。ICT利用の可能性ということで、これまでの皆さんの発表からいくと急に現代に来る感じですが、今、多くの人はスマートデバイスを使っていると思いますので、そういうところにまで射程を広げて話ができればと考えております。

 まず、自分がどういうICT機器を使っているかということを簡単に紹介したいと思います。PCで言うと、仕事ではラップトップとデスクトップをそれぞれ1台ずつ使っております。これをネットワークで介してクラウドで情報共有してということをやっております。

 あと、プライベートでもラップトップを2台、職場では両方Windowsなのですが、プライベートではWindowsのPCとMacを使っています。あとはスマートデバイスです。これは定義が難しいのですが、要するに小型で多機能な新しい端末です。プロセッサー、メモリ、ストレージというPCと同じような、あるいは、それ以上の機能を有する新しいタイプのデバイスと理解していただければと思います。スマートフォンとしてはiPhone、タブレットとしてはiPad、AppleWatch、たまたまAppleのものが多いのですが、普段はこういうものを活用しております。あと、家にGoogle HomeやAmazon Echo、スマートスピーカーと言われているものを置いて連携して使っています。あと、スマート家電的に言えばスマートテレビです。インターネットに接続していろいろなものがつながっている時代ですが、そういうものも家にあるという状況です。

 こういう話をすると、ともすれば、そもそもこういうデバイスに興味があるとか、テクノロジーに強いという印象を持たれがちなのですが、実はそういうことはなくて、必要に迫られて、いろいろなデバイスなど使えるものを使っていった結果、今に至っているということです。その辺りを説明するために、私自身のICTの利用の変遷を簡単に振り返ってみたいと思います。

 まず、私が失明したのは1990年代です。失明した頃は「暗黒時代」と言えると思います。本当に見えなくなったことで、できることができなくなってしまった。それに伴って自分の描いていた夢や希望を失ってしまった。また、それによって、周囲の目や社会的な役割が変わったり、あるいは損なわれたりしてしまった。本当に行き詰まってどうしようもないという状況でした。こういうことで、中学などの学校時代は、今で言う引きこもりと言うのでしょうか、不登校と言うのでしょうか、ほとんど学校にも行けないような時期を過ごしていました。そういう中、一筋の希望というか光を感じたのがPCの利用です。

 午前の話でも、いかに仮名や漢字の文章を読み書きするかというところが話題になっておりましたが、私もそういうものを初めて知ったのが高校を卒業するぐらいだったと思います。そのとき点字というものはありましたが、結局、コミュニケーションをするという意味では、一般の人が使えるものと同じものでやり取りできるかどうかということはすごく大きいと思います。漢字仮名交じりの音声合成エンジンを付けたDOS/VのPCでしたが、文章を書けたときに、もしかしたら、閉ざされていた世界、社会とのつながりが、これで少し広がっていくのかという期待を感じたのを覚えています。それが1990年代です。時代的にはWindows95が出て、社会的にもパソコンが一般にどんどん使われるようになったということだと思います。

 2000年代は、それが一気に加速して、インターネットがより普及したのが大きな特徴だと思います。昔は電話線につないでをモデムか何かでつなぐのですが、ADSL、今はもうADSLもないですけれども、より高速で安定した常時接続が実現して、一般のユーザーのレベルでも使いやすい環境ができました。加えてPCのほうでは、Windowsの業務系の2000と一般ユーザー系の95、98、Me辺りのOSが統合されたWindows XPというOSが出来ました。これによって、一般の社会でもPCがかなり安定して使われるようになり、値段も安くなってきました。それに加えて、先ほどのお話にもあったようなスクリーンリーダーも非常に多機能、高機能化してきた、こうして選択肢としてもPC-TalkerやJAWS、これらは皆さんが今でも使っていると思いますが、そういったものが普及してきました。折しも、私自身この時代は、学生生活、新しい企業に就職するというライフステージだったわけですが、そういう時代の流れに乗る形で私自身も恩恵を受けたということになっています。

 それが2000年代とすれば、2010年から現代を象徴するのは、iPhoneに代表されるようなスマートフォンやいろいろな形で広がってきたスマートデバイスが、こういったものが広がってきたのが大きいと思います。これは生活に大きな影響を与えたわけですが、視覚障害の世界でもiPhoneを使うという人が劇的に増えました。Androidでも使えたりしますし、むしろ、必需品と言ってもいいぐらいのツールになっているのではないかと思います。

 私自身はいつから使い出したかと言うと2011年です。この頃は、日本で視覚障害でスマートフォンを使っている人というのはほとんど見掛けなくて、一部のコアなユーザーが何とか頑張って使っているというレベルでした。海外のサイトを見て、どのように使うのかみたいなことを調べて、その頃は、日本語の漢字仮名交じりの変換の読みは全然できておらず、読み上げるのが精一杯でした。それでもなぜ使ったのかということですが、これは仕事にも使えるのではないかという意識がすごくあったのです。具体的にはキャリアアップと言ってもいいのかもしれません。

 それを買った頃というのは、ちょうど日経の電子版というサービスがロンチされた頃でした。皆さんは新聞を当たり前に読むと思うのですが、目が見えないので読めないまま大人になったわけです。朝起きて、通勤のときに朝刊を読んで、仕事をして帰りの電車で夕刊を読むということは、普通の社会人では当たり前のことだと思うのですが、そういう当たり前は、なかなか目が見えないとできないと思うのです。それが、スマートフォンを介してできたときに、社会の中に戻れたというか、社会の一員として対等というか同じようなことができるという喜びを感じたのを覚えています。

 あと、その頃からスマートフォンで、今はもっとあると思いますが、オンラインでいろいろな教材を使って学習できるということがあり、幾つか資格の勉強をしたりということで、自分自身のスキルアップ、キャリアアップに絶大な力を発揮してくれました。この辺りは、人によって違う部分だと思いますが、可能性を広げてくれるデバイスと言えるのではないでしょうか。

 PC、スマートデバイスのメリットをまとめてみたいと思います。PCが何をもたらしたのかと考えると、一般の皆さんが社会で使っているものと同じようなものを独力で操作できる、情報の収集や発信ができるという革命をもたらしたと言えると思います。視覚障害者のための特種な機械というと、追加の費用も掛かるし、それを扱える人も特種な人になってくるわけですが、PCやそこに入っているWordやExcelなどのアプリケーションは、みんなが同じように使っているわけです。そうした同じようなものを使えるという環境になったことは、就労や学習の面で非常に大きな影響があったのだろうと思いますし、私自身のキャリアという意味でもそれが言えるかと感じています。

 スマートデバイスは、まだ発展途上ではあると思うのですが、視覚障害者に限った話ではないのですけれども、時間や場所を問わずに作業ができる。これまでは、インターネットで何かをするときには、デスクに座ってPCの電源を入れてインターネットにつないでということですが、スマートフォンがあれば、スイッチを入れて一瞬でネットにつないだりメールを見ることができるようになっているというわけです。あと、複数の端末を同期させて作業ができる。スマートデバイスというか、クラウドや高速で大容量のインターネットの回線というインフラも含めて実現している部分ではあるのですが、目が見える見えないは関係なく、こういうものをより享受できるということは非常に大きな可能性を開いたと言えると思います。

 スマートデバイスはPCと比べてどのような特徴があるのか、少し整理してみました。3つほど書いております。1つはインターフェースが非常に洗練されています。スマートフォンは、一般のユーザーに向けて多くの人が使えるように設計されているので、誰にとっても使いやすく、直感的に使えるというコンセプトになっています。

 そして、PCに比べるとアクセシビリティが比較的充実しているのかなという印象があります。PCに比べれば、ある程度機能も集約され単純化されている部分はあると思いますが、いろいろなサービスを使ってみても、比較的、音声で、VoiceOverなどで操作できることが多いという印象を持っています。

 あと、意外と大きいのは、これまでの視覚障害者のための点字のディスプレイやスクリーンリーダーは結構高いのです。それこそ、1970年代、1980年代の歴史を振り返ると何百万でした、それが何十万と少しずつ下がってきているとは言え、追加の相当な費用が掛かる。なかなか一般の人が普通に使うのは難しいという部分があったと思うのですが、スマートフォンは最初から標準でスクリーンリーダーが搭載されているということで、ほぼ買ってすぐに使える。これはまた、視覚障害者が社会に参画する上で、今までになかった革命的な出来事だったのではないかということを感じています。

 スマートデバイスはいろいろな可能性があるということを感じていただけたかと思います。では、具体的に職業や生活でどのように使われているのかを、少し整理してみたいと思います。それが今表示しているものです。職業や生活の代表的な項目を列挙して、それをPC、スマートフォンという項目別に、有用性というところで4段階で評価したものを表示しています。これは私が任意で作ったものなので、個人差があったり、スケールは人によって違うと思いますが、参考にしていただければと思います。

 この表から何が読み取れるのかということですが、大きく分けると3つの可能性があるのかなということです。その3つというのは、PC、スマートデバイスという中で、PCに優位な作業、スマートデバイスが優位な作業、その両方が共存する、あるいは2つがうまくシナジーを起こすことで、より効率的な作業が実現する、この3つがカテゴリーとしてあるのではないかと感じています。

 時間の関係で1個ずつ説明するのは割愛いたしますが、例えば表計算、文書作成、いわゆる仕事で基本となるような業務には、PCが圧倒的に効率的にも優れていると思います。タブレットなどいろいろ試してはみたのですが、やはり、ここはPCにはかなわないというのが実感としてあります。一方、スマートデバイスに優位性があるのは、例えばコンテンツを見るということでしょうか。読書であるとか、先ほど日経の話をしましたが、新聞、雑誌などの情報収集、あるいはPDFの閲覧や買物など、比較的入力が単純で、あるものを確認するという部分では、スマートデバイスには非常に優位性があるのかなと思います。

 あと、両方でうまく活用できる部分というのが新しい部分かなと思います。これはコミュニケーションですよね、メールやSNSといった部分、あとスケジュール管理、タスク管理などもそうでしょう。Webなどはどちらでもいけるのかなと思います。私などは、アカウントを1個持っておけば、スマートフォンで入力した予定がPCにも反映され、PCで入力したタスク管理がスマートフォンでも閲覧できます。そういう形で、IMAPを使えばメールもどの端末から見ても同じリストを見ることができます。本当に時間や場所を選ばずに、自分の便利なタイミング、あるいは端末で業務に携われるというところが大きいのではないかと感じています。こういうことを考えると、ICTが視覚障害者にもたらしたものは相当大きく、充足度を考えると100%と言っていいだろうと思います。100というのは、これがないと仕事にならないというイメージで捉えていただければと思います。ただ、これがあれば全てOKなのかと言うと、そうではないのです。これは必要条件ではあると思うのですが十分条件ではないという辺りが、これからの課題になってくるのかなと思っています。課題を次のスライドで整理しております。

 3つに分けて書いております。最初は、今言ったICTは素晴らしい可能性を持っていますが、やはり、これを習熟するにはそれなりの負担が掛かります。そうでなくてもWindowsやそのアプリケーションを覚えるのは大変で、更に視覚障害を持って、スクリーンリーダー等でどのように操作するかということをマスターしなければいけないということを考えると、それなりの時間や負担、あるいは訓練を受けるということが必須になってくるのではないかと思います。

 ICTはすごく素晴らしいのですが、それを行うためには、アプリケーションやサービスがアクセシビリティにある程度対応しているのが前提となります。もちろん、そういう意識で開発されてきており、社会的にもその流れはありますが、全てのサービスやアプリケーションが対応しているわけではないのです。また、その開発はどんどん進んでおりますので、これまで使えていたものが同じように使えなくなるといったことは結構起こります。そういうときにどのようにしたらいいのか、常に自分もアップデートしていかないといけないし、ときには個人レベルでは対策が無理な部分もあるのかもしれないということは、心に留めておく必要があろうかと思います。

 もう一個、ICTを使いこなせてサービスやアプリケーションのアクセシビリティも充実していれば、完全に対等に働けるのかということについては、少し疑問点が残ります。対等にというところで言うと、キーボードのショートカットを使ったりマクロを組んだりして、健常者と対等な形で効率、能率を上げるということももちろん努力で可能だと思いますが、それだけ頑張ってもせいぜい対等な部分までしかいけないと思います。そういうところで、我々がこれからICTを使って職業人としてどのように戦っていくかということは、大きな課題になるのだろうと思います。

 最後に、展望ということで簡単にまとめております。まず、ICTは武器ではなくて「道具」なのです。言ってしまえば、これはできて偉いということではなく、紙と鉛筆ぐらいの話なのだと思います。職業人として最低限のリテラシーなのだと、身に付けて当然のものなのだという前提で取り組むことが必要なのだと思います。

 そして、ICTはゴールではなく「スタート」であるという書き方をしています。障害者の就労の文脈で言うと、ともすれば、就労できたところがゴールだという印象を持たれがちなのですが、あくまで、スタートは就労してからなのです。そこで、ICTをどのように使っていくかということは業務によっても違いますし、個々人の適性、特性によっても変わってくるので、ICTをゴールにしないでスタートなのだという意識が大事だと思います。

 あと、ICTに依存せず、その人なりの「強み」を持つことが非常に大事だと考えています。今、私は館長ですが、その強みとしては、経営や資金調達、財務という経営に関する勉強をかなりしてきました。また、図書館ということもありますので、文学部だったということもあるのですが、文学、宗教、哲学の素養は、ほかの職員にない強みとして持っている自信があります。そういう自信があるからこそ、ICTを効果的に活用することで相乗効果が生まれて、その人のポジションが生まれてくるのだと思います。そういう意味で、結論ですが、「ICTができるか?」というところから、「ICTで何ができるか?」というところの意識の改革が、これから求められるのではないかと考えております。短いですが、以上です。御清聴ありがとうございました。

○大内 西田さん、どうもありがとうございました。西田さんの最後の課題と展望は、大いに共感したところですが、これは後でディスカッションできればと思います。続いて、鈴木沙耶さんにお話していただきます。

■パネルディスカッション②

○大内 鈴木沙耶さんから頂いた紹介文をお伝えいたします。鈴木沙耶さんは、2008年4月に太陽生命保険株式会社に入社して人事課に所属され、障害者雇用問題関連や人権学習、内定者懇談会等を御担当されました。同年7月に白血病を発病されて休職に入り、翌年の7月に復帰されてIT企画課へ配属となりました。そこでは、営業職員用の携帯電話、電子メールアドレス等の管理促進、外部の記憶媒体使用の監視業務等を経験されました。現在は、各種IDの管理促進、あるいは異動対象者への情報提供等の業務を行っておられます。それから、社外では働く視覚障害者が気軽に情報交換をできる場づくりとして、ミーティングの企画・開催、それに関連する原稿の執筆等を積極的に行っていらっしゃるということです。それでは、鈴木さん、お願いいたします。

○鈴木 皆さん、こんにちは。鈴木沙耶と申します。私からは、実際に視覚障害を持ちながら一般企業でどのように働いているかということ、現在の課題、どのように解決していくか、今後の希望についてお話させていただければと思います。

 レジュメには、「現状におけるICTの有用性」と書きました。私はIT企画課に所属しており、現在は常にパソコンを使用しながら仕事をしております。パソコンが使えると何ができるのかということですが、まずは、自分が担当すべき業務が普通に担当できるということです。何をやっているかと言うと、先ほど御紹介いただきましたが、各種IDの管理促進ということで、送られてきたIDの申請の管理、システム担当者への依頼、情報提供、棚卸等の業務に使用しております。もう1つ、業務効率化でチームに貢献するということも仕事としてやっています。

 課題に移る前に、今どういう状況で働いているかということをレジュメには書きませんでしたので、軽くお話させていただきます。私は全盲で、仕事ではスクリーンリーダー、PC-TalkerとフリーのNVDAをポータルとして入れて使っています。それ以外に、点字ディスプレイやOCR、文字認識を使うためのスキャナーなどを用意してもらいながら仕事をしております。

 現在、そのように仕事をしているのですが、課題も幾つかあります。現在、自分で課題をどのように考えて解決しているか、その取組状況を紹介いたします。今、一番問題になっているところだと思うのですが、1つ目は、業務系システム、会社で使っているいろいろなシステムが更新するたびに、「スクリーンリーダー非対応」と書きましたが、要するに音声で読まなくなってしまうということです。これが、今までの課題の中で一番重要なところです。

 例を幾つか出しております。まず最初ですが、グループウェアが新しくなった際に、半分は使えるけれども後の半分は使えなくなってしまい、仕事をしながらどうするか考えなければいけませんでした。それをどうしたかと言うと、使えない部分の機能を使ってやる業務はできませんので、そこの部分は誰かに担当を代わっていただいたり、メールソフトの導入依頼を行い、何とか自分の仕事を確保するところに重点を置きました。それでも、使えなくなってしまったことで担当していた業務ができなくなってしまったという問題があります。

 2つ目は、eラーニングです。内務員として学ぶべきことの教育を定期的に受けるためのシステムですが、そのeラーニングもシステムが更新されてしまい、操作、学習することが不可能になってしまいました。これはどうしたかと言うと、口頭での読み上げを依頼して何とか学ぶ機会を得ているというところです。

 3つ目は、今、一般企業で最も多く使われ始めているシンクライアントシステムです。シンクライアントは、パソコン上ではなくて共通のサーバー上にシステムを置いて、そこに各ユーザーがアクセスして、パソコンと同じような操作ができるというものです。そのシンクライアントの導入により、使えないからどうしますかということになりました。取りあえず、職場では通常のPCを入れていただくことができましたが、今、コロナ禍において半分は在宅になっており、在宅勤務では一般のPCを使うことが許されておらず使えない状況になっていました。この業務系システムの利用が自分の中で最も問題になっており、そして、多くの一般企業で働く視覚障害者にとっても問題になっている点の1つだと思います。

 もう1つは、仕事がもらえないということです。これには、周りの理解も必要ですし、自分の障害の状況を説明する能力、できることを説明する能力、スクリーンリーダーについてPCのスキルアップをすることが必要かと思います。私自身は、昨年、この視覚障害者職能開発センターの就労支援者応用コースでVBAを学び、また、視覚障害者パソコンアシストネットワークSPANでもVBAを学び、今、マクロの作成に取り組んでいます。

 今後の課題と希望ということで書きました。これは一般的なもの、視覚障害者が一般企業で働く上で必要なもので、課題を2つ挙げております。私は大体月に1回ぐらいですが、視覚に障害を持ちながら一般企業で働いている、特に事務の仕事をしている方々と情報交換を行う機会を持っております。その中で最も問題になるのが、先ほど挙げた業務系システムのスクリーンリーダー非対応、音声が読まないというところだと思います。一般企業で働くことに関しては、視覚障害者はまだ一般的には働けていないというのが現状だと思います。それは、まず1つは、スクリーンリーダーというソフトをインストールしていただかなければいけないということ。それだけではなく、インストールしてもまだ解決できない問題があるということ。もう1つは、一般の見える方と操作性が違うということ、これが視覚障害者が働く上で最も問題だと思います。

 そして、今これを考えていたときに、午前中のお話を聞いて思い出したことがあります。まず、皆さん、思い出してください。MS-DOSの頃は、本当に全てが完璧でした。怖いものなしで、普通に音声で文字が書ける。これだけで怖いものなしで、パソコンというすごいものがやってきたという状況でした。しかし、そこに恐怖のWindows3.1がやってきて、先ほど御紹介いただいた音声合成装置を使っても、パソコンが使えないという状況になってしまいました。そして、そこから95ReaderやPC-Talkerが現れて、今はWindowsも大分使えるようになってきましたが、まだまだ働く上で、一般のソフトウェアが読まない、市販されていない各企業独自のシステムを音声が読まない、更に問題なのは、スクリーンリーダーが読まないのか、若しくは、自分に操作の能力がないから読ませられないのか分からない、これが現状です。

 これを解決する希望として2つ挙げました。1つは、一般の企業で事務として働いている視覚障害者のことをスクリーンリーダーの開発者にもっと見ていただいて、そして、業務系システムのスクリーンリーダー対応に注目していただく。もう1つは、業務系システムの開発者に、操作性のアクセシビリティという条件を加えていただいて普通にスクリーンリーダーがあれば読めるようにしていただく。そのどちらかが今後の課題になっていて、これは今すぐ何とかしない限り、今後どんどんグラフィックな世界になっていって、可能性がどんどん狭まってしまうような状況になっています。今の段階で動けば可能性がどんどん広がるのではないかと思います。まだ時間は大丈夫でしょうか。

○大内 もうそろそろ、あと、1、2分だけあります。

○鈴木 はい、1、2分。もう1つは、少しでも晴眼者に追い付くためにということです。普通に働きたいということをほかの視覚障害者の方がおっしゃっているのですが、効率よく働いてはいるのですけれども、自分よりもっとスキルがある人のほうがたくさんいて十分には働けていない。更に言えば、雇用率のために働くのではなく、もっと企業に役立つために働きたいということがあるので、今後、もっと高度な技術を身に付けられるスキルアップの機会、中上級者向けのスキルアップの機会。それから、仕事を辞めたいと思っている視覚障害者の事務職は非常に多いので、定職者の支援などを充実していただきたいと思っています。またパネルディスカッションの中でも課題についてお話させていただきます。では、ありがとうございました。

○大内 鈴木さん、貴重なお話ありがとうございました。示していただいた課題や今後の展望は、非常に重要な意味を持っているかと思います。正しく、今日私が話題にしたかった社会受容、幾ら当事者だけ努力をしても、それでは問題解決にはならない点についてお話いただきました。例えば、今の問題でもそうですが、システムの基本となるプラットフォームの中にきちんとアクセシビリティが入っていないと、なかなか後が大変だということを、如実にお話されていたと思います。また後で、そのこと等は話題にできたらと思います。

■パネルディスカッション③

○大内 では、続いて、実際に視覚に障害のある方の雇用に向けて指導や支援をされている柳田さんから、お話を伺いたいと思います。

○柳田 皆様、こんにちは。御紹介いただきました日本視覚障害者職能開発センターの柳田友和と申します。よろしくお願いいたします。今回は、2つの立場からお話させていただきたいと思っております。まず1つ目は、視覚障害者当事者としての立場、もう1つは、視覚障害者の就労支援をさせていただく指導員としての立場から、お話させていただきたいと思います。初めに私の簡単な自己紹介を申し上げて、次に、私が普段からどのようにICTを使っているかというお話、そして、視覚障害者のICTの課題について、習得するときの課題と就労する上での課題に分けてお話いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 まず、簡単な自己紹介です。私は、ほぼ生まれながらにして全盲です。網膜芽細胞腫で3か月ぐらいのときに両眼を摘出しておりますので、光を知らないと言っても過言ではないかと思います。

 私とパソコンとの出会いについて少しお話いたします。私が高校生時代に通学していた栃木県の盲学校に、ものすごく怖い英語の先生がおりました。今では感謝しかないのですが、指されたときに1つでも単語が分からないと、廊下に響きわたるような大きな声で怒られてしまうのです。毎回、英語の時間がくるのが怖くて怖くて仕方がなかったのです。何とかして英語の予習を簡単にやる方法はないだろうかと考えて、電子辞書などいろいろ探したのですが、残念なことに電子辞書は視覚障害者に対応したものではありませんでした。

 それで、盲学校の先生に相談したところ、パソコンで引く音声辞書があるのだということを教えてもらいました。当時は1998年ぐらいですから、パソコンがものすごく高かったのです。まさか買ってもらえると思わなかったのですが、「パソコンを買ってくれないか」と言ったら、「兄には車を買ってやったのだから、あなたにはパソコンを買ってあげるよ」と言って偶然買ってもらえたのです。パソコンが手元に来たら、パソコンはすごいものだと思って、これをきっかけに、実は三療で非常に活躍されている有名な先輩がいらしたので、その先輩を目指して三療の道に行く予定だったのですが、筑波技術短期大学の情報処理学科に入学を決めました。パソコンで困っている人たちに、パソコンの素晴らしさやパソコンの活用の方法を教えたいという夢を持って進学しました。

 そして、縁あって2003年に外資系企業の情報システム部門に入ることができました。その後、社内のセキュリティ、ウイルス対策などを本社の状況と合わせる仕事、日本の支社に配属になったのですが、日本の支社と本社ではウイルス対策のやり方が違うので、本社と支社の状況を合わせるという仕事をした後に、ITサービスデスクの仕事をしました。ITサービスデスクはどういう仕事かと言うと、簡単に言ってしまうと社内のITの相談役です。パソコンがエラーを起こして止まったとか、何かの使い方が分からないというときに、メールや電話で質問を受ける窓口の担当者です。それを大体10年ぐらいしまして、縁あって2015年に日本視覚障害者職能開発センターに入職しました。

 現在は、事務処理科で1年コースを担当しております。主に、パソコンでインターネットの訓練、WordやExcelはもちろんですが、簡単なプログラムの訓練などを担当しております。

どのようなITの活用の仕方をしていたかと言うと、前職のことにも触れさせていただきたいのですが、前職での経験があって今ここでお仕事をさせていただいているという部分があります。前職で私が一番手放せなかったIT機器は点字ディスプレイです。何でもかんでも点字ディスプレイにメモして、取りあえず必要なことは書いてしまう。後で墨字に訳す必要があったのですが、私は音声を聞きながら書くのが苦手だったので、正確に書き取るために、ずっと点字ディスプレイでノートを取ったり問合せの管理もしていました。ただ、健常者は点字が分かりませんので、それを時間があるときに自分で作ったExcelのDBにいちいち入力して、健常者と共有するという使い方をしていました。ほかは普通の使い方と言いますか、社内ポータルの閲覧、それから、JAWSを使った端末エミュレーションというものがあり、黒い画面に文字だけで出てくる会計や物流などのシステムがあるのですけれども、そういうものを使ったりしておりました。

 そのときに感じていた壁は、健常者にとって1分でできる簡単な、マウスクリックでできてしまう仕事を私たちがやると、キーボードでいろいろなことをしても、どうしても時間が掛かってしまうということだったのです。そこで、スクリーンリーダーの機能をたくさん勉強して徹底的に使うということ。それから、ショートカットキーです。

 Ctrl+Oは開くでCtrl+Pは印刷ですが、こういうものがあるものについては徹底的に覚えて使うということです。そして、アクセラレータキーと言われるものです。Alt H O Iを押すと列の幅の自動調整ができますが、そういうものもしっかり覚えてなるべく使えるようにしていました。階層が深い所にあるものについては、実は健常者からも、これはもう少し早くできないかと聞かれることがあるのです。アクセラレータキーのお話などをすると意外と受けて、なるほど、見えても大変なことがあるのだと何となく思ったことがあります。それから、ExcelVBAです、Excelのマクロを活用して仕事を効率化するということも行っておりました。

 今の職能開発センターでのお話をいたします。主にExcel、Outlook、Wordを使って必要な書類等を作成、実際の訓練を担当しておりますので訓練のテキストを作ったりといったこともしております。自分の仕事では、余り変わった使い方はしていないという感じです。センターの中ではOfficeが使えれば大体の仕事が完了できるような仕組みがありますので、余り変わった使い方はしておりません。

 その代わり、所内の情報システムの担当をすることになりました。視覚障害者に使いやすいものを中心に何か導入しようという話が出たら、なるべく視覚障害者に使いやすいものを中心に提案をするというようなことを始めました。それから、できれば健常者の職員の方々のお知恵をお借りしながら、視覚障害者であっても、レイアウトが整った書類をしっかり作成できるようにフォーマットを考えるということもやっております。
次に、ICTを活用する上での課題について、その解決方法も含めてお話いたします。まず1つ目は、就労に必要なスキルを習得するときに感じる課題です。視覚障害者がパソコンを就労に使えるレベルで学ぶときに、どういう課題があるかということを考えてみました。

 まず、よくテレビのCMでパソコンは簡単だというようなCMをやっています。少しこのようにやっただけでできるとか、それから、24時間365日オペレーターが対応してくれるから、このパソコンは非常に簡単なのだというようなCMをやっていますが、あくまで、それは健常者の話だと思っています。健常者と視覚障害者では、マウスとキーボードということで普段使う操作方法が大きく異なってくると思います。ですから、視覚障害者の場合は、健常者が目で見てパッと分かるようなことでも、まず、全体を把握するのに時間が掛かりますし、それから、マウスの操作をキーボードに置き換えなければいけませんので、難しさを感じております。Windowsは、視覚障害者のパソコン初心者にとってはまだ壁があるという感じがしております。

 次に、WindowsとOfficeの話です。WindowsやOfficeは最近すぐに更新されます。Microsoft 365というサービスがありますが、こういうものに加入している企業が非常に多くなっており、最新のOfficeを使えるというのが売りなのです。ところが、最新のOfficeを使えることが売りということは、Officeが勝手に更新されていくのです。そして、Windowsも半年に1回大きなアップデートがあり、Windowsも勝手に更新されていくのです。そこで発生してくる問題は、訓練校で習ったことをそのまま実行できなくなるということです。WindowsやOfficeが更新されると、今まで普通にできたはずのことができなくなってしまうという課題があります。

 こういう課題がある中で、視覚障害者には独力でコンピュータを勉強される方が結構多いのですが、私の立場で申し上げると宣伝のようになってしまうのですけれども、スキルを習得するためには専門機関での訓練を受けることをお勧めします。私も前の職場で働く前に、日本視覚障害者職能開発センターのような所で訓練を受けておけばよかったと思うのが正直なところです。これがスキル習得の上での課題です。

 次に、課題解決のために取り組んでいることについてお話いたします。全てをキー操作で行えるように、タイピングの訓練を徹底的に行っております。タイピングの訓練は結構退屈なのですが、キーの位置を正しく覚えていれば説明書どおりにきちんと操作できるので、キーの位置をきちんと覚えてもらう、そして、正しい文字入力をしてもらうということが非常に大事だと思っております。

 次に、WindowsやOfficeが更新されて手順どおりに操作できなくなってしまったときに、自分で解決するスキルを習得していただけるようにやっております。具体的には、インターネットの操作の訓練になるべく多くの時間を取るようにしております。どうしてインターネットの操作の訓練を多くしているかと言うと、インターネットを検索すると、一般の人が困っていることやその解決方法がたくさん出ています。困ったことや解決方法が一般にたくさんありますので、これを自分で視覚障害者の手順に変換できれば、困ったことを自分で解決できると思っております。

 そのためには、Windowsはどのように操作するものなのか、例えば、メニュー、ボタン、リボン、タブ、コンボボックス、ラジオボタンとはどういうものなのかということをしっかり勉強しておくことが大事だと思っておりますので、Windowsの基礎という時間も長く取るようにしております。操作の手順を暗記するのが大変だと思っている方がたくさんいらっしゃるかと思いますが、実は操作の手順は、どうしてそういう操作をするのかということが分かってくると、暗記しなくてもよくなる場合もあります。もちろん、これには苦手か得意かなどいろいろありますが、そういう場合もあります。ですので、説明する際には、操作の手順を教えるだけではなくて、どうしてこういう操作をするのかという理由も説明することを心掛けております。

 次に、就労上のITを使いこなす上での課題についてお話いたします。鈴木さんのお話にもありましたが、業務システムのアクセシビリティ確保が困難な状況です。一般のインターネットのサイト等ではアクセシビリティのガイドライン等があり、これに対応するということが徐々に広がってきているのではないかと感じておりますが、社内の情報システムに関しては、こういうガイドラインがないのです。一般のシステムに関してこれはすごいと思ったのは、国勢調査の画面です。今年は国勢調査の年でしたが、国勢調査の画面を実際に操作してみると非常に使いやすいのです。ところが、国勢調査を所管している所で働いている方からは、所内のシステムはそれほど使いやすいものではないと聞いております。ですから、システムを作る側はアクセシビリティのことが分からないということではなさそうなので、こういうものをきちんと要件として入れていただくような法的な枠組みの整備が何となく必要ではないかと思っております。Internet ExplorerやChromeのことですが、利用できる、これはいけそうだと思っても、特殊なボタンやCtrlを使っているために肝心な所が押せないとか、肝心な所が開かないという問題が発生してしまっていますので、社内システムのアクセシビリティをきちんと整備していくという法的な枠組みが欲しいと思っています。

 それから、業務システムは支援機関での再現が非常に難しいのです。つまり、何々の使い方が分からない、この業務システムの使い方が分からないという電話をよく頂くのですが、いつも歯がゆい思いをします。これには会社との契約で使えるもの、ある程度の契約数が必要だというものがあり、私どもの手元で再現できないので、これを何とかする方法も考えなければいけないと思っております。

 それから、セキュリティ上の理由などから、支援機関の訪問を余り快く受け入れてくれない会社もあります。もちろん、そういう会社ばかりではなく、どうぞと言ってくださる会社もありますが、これも何とかしなければいけないと思っていることの1つです。テレワークに対応したシステムへのアクセスが困難ということについては、先ほどシンクライアントの話が出ましたので説明は省略いたします。

 次に、課題解決のためにどのような取組をしているかというお話をいたします。Windowsの基礎をしっかりするということ、スクリーンリーダーの機能を理解していただけるような訓練をするということが非常に大事だと思い、取り組んでおります。Windowsの基礎やスクリーンリーダーの使い方の訓練をしっかりやっていれば、トラブルが発生しても徐々に自分で解決できるようになってくるのではないかと思っております。

 それから、日頃からスクリーンリーダーのメーカーとコミュニケーションを密にするということがあります。スクリーンリーダーのメーカーも、自分の会社の中でOfficeをばりばり使っているということばかりではありませんので、Officeを中心に訓練している私たち訓練機関が分かったことは、できれば直接報告したいと思っております。

 次に、何か困ったことがあったときのために、なるべくITの担当者と話ができる機会を大事にしたいと思っています。もちろん皆さんはパソコンのプロではないわけですから、先ほど自分が困っている理由が分からないということがありましたが、それは当然のことではないかと思います。ただ、支援機関の側から見ると、もしかすると、この画面は少しの改良でうまく使えるのではないかということがあったりしますので、それをITの方と一緒に話すとすぐに解決できることもあるのかと思っております。

 それから最後に、課題にぶつかっている方々に対して、できる限りではありますが、立場に立って相談に乗るということがあります。私も昔そうだったのですが、一般企業の中で課題にぶつかると、その課題は視覚障害者特有のものだったりしますので、話を聞いてくれる人や分かってくれる人がいるというだけでも全然違うのかなと思っております。少し時間をオーバーしてしまったでしょうか。以上で、終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。

○大内 柳田さん、ありがとうございました。コンパクトに現状と課題、展望についてお話いただきました。お三方にそれぞれの立場からのお話を伺いました。この後、休憩を取ってお三方と議論させていただき、その後は、今回、このシンポジウムに参加されている皆さんと一緒に議論を深めていけたらと思います。では、総合司会に一旦お返しいたします。

○中西 総合司会の中西です。これから休憩に入ります。現在から14時50分までの約10分、休憩に入ります。よろしくお願いいたします。

■パネルディスカッション質疑応答

○中西 皆様、それでは再開したいと思います。休憩がただいま終わりましたので、これからパネルディスカッション、質疑応答などを実施します。それでは大内先生、お願いいたします。

○大内 それではよろしくお願いします。時間が限られていますので、ポイントを絞って情報交換していきたいと思っています。

 まず休憩の前に3人の方々にお話していただいたのですが、3人のお話から、やはりICTの活用によって就労の上での壁と言いますか、これまで支障があったところは確かに低くはなってきている。そういう状況にあるし、いろいろなものを使えるようになってきている。しかしながら、実際、仕事をしようと思うと、まだまだ根本的なところでの課題が解決されていないということが示されたように思います。

 西田さんからは、やはりパソコンを使うにはそれなりの負担があることが示されました。アクセシビリティの限界、それから一般の人と仕事をするに当たっての能率や効率の問題をどう考えるのかなど。

 それから鈴木さんからは、これは一般企業に勤める上で非常に重要なことだと思うのですが、当たり前のように企業の中で使われているグループウェアやeラーニングシステム、シンクライアントシステム、そういうシステムが更新されるたびに、視覚障害の方は一歩後ろに下がらざるを得ないという状況が出てきている。基本のシステムにスクリーンリーダーが入っていなければいけないのにもかかわらず、既にスクリーンリーダーが組み込まれているのが当たり前ではないということです。そういう状況がありました。

 それから柳田さんからも、Office等のソフトが一般に企業や仕事の場面で使われていますが、それがクラウド上のサービスで提供されるようになってきて、頻繁に、それも勝手にそのプログラムが更新されてしまって、それについていけない状況が生まれてしまうということでした。それから、実際に仕事に入っても、企業の中での様々な独自のシステムというのはアクセシビリティの確保が困難です。そのことについても、守秘義務等があるのだと思いますが、対応がなかなか難しい。外から行ってもなかなか対応してもらいにくいという状況があるということですね。そのような問題がありました。

 お話を聞いていて思ったのですが、これだけICTが進んで障害のある方もインクルーシブな状況に近づいてきているとは言え、なかなか現実的なところではまだまだ十分な対応がされていないと受け止めます。正しくこれは、社会受容の問題。要するに視覚障害の方が自力でできるということについては、かなり努力をされてきているのですが、その努力をするためには、きちんと情報の提供もなされていなくてはなりません。それから、システムやあるいはソフトウェア等が、やはりアクセシビリティにきちんと対応していなくてはいけない。そうでないと、そこの対応が難しくなるし、いつまでたっても一歩遅れて視覚障害の方が歩んでいくという話になってしまうかなと思います。今日の話の中で一番のポイントはそこかなと思います。

 そこのところをどうするか、当事者の努力だけではなくて、やはり社会の側が変わっていくという仕組みをどうしていくか。そういうところに話を最終的には持っていかないと、なかなか解決しないのかなと思ったのですが、時間がありませんので、そこのところをちょっと絞って、現在の課題を踏まえて、それぞれ今後どのように展開をしていったらいいかというところで、それぞれのお考えを聞かせていただけたらと思います。西田さん。

○西田 西田です。僕自身、今、スマートデバイスの話をさせていただいて、iPhoneを初めて使ったとき革命的だったと言いましたが、既にそのスクリーンリーダーですね、その辺はまだ後追いで開発されたものを高いお金を出して使うということが当たり前だったものが、普通に買ったときにそこに組み込まれて、すぐに使えると。これは本当にある意味、理想の未来を象徴しているような、こういう商品が全てに行き渡れば、どれだけ暮らしやすくなるだろうということを感じたのを覚えています。アメリカでは差別禁止法など、そういう対応をしていないと訴えられる。もしかしたら、そういったこともあるのかもしれないですが、経緯はともあれ、本当にユニバーサルな誰をも受け入れるような社会というものをその商品に見たということが、やはり感動の要因だったのだろうなと思います。

 残念ながら、ほかの方の話からもあるように、どうしても特に業務システムなどはまだまだその障害があるという前提で作られていない、後追いで作られているということがあるのですが、ここは先生もおっしゃられた社会がそもそもいろいろな構成員でできているというような意識、認識のチェンジ、こういうものが必要になるのだろうと思います。飛行機やバスなどは、非常口の設置というのが絶対にあると思います、ほぼ事故などは起こらないけれども絶対に付いています。視覚障害者は、結構、希少障害などと言われているそうです。なかなかめったにいないということなのでしょうか。とは言え、やはりそういう障害を抱えている人もいる。そういうことを前提に、社会システムというものが作られるということが、一般の商品でできているわけですから、こういった概念というものがシステムを作るときもそうですし、また、そういう意識で人が動くようになると、それこそ困っている人はどのように助ければいいのか、逆に障害を持った人間がそういう意見を言いやすい環境というものも生まれてくるのかなと思います。ですので、こういった商品、システムの課題、問題をうまく双方の改善のきっかけにしていくような動きが、この2020年代に生まれてきたらいいのではないかなということを感じています。以上です。

○大内 ありがとうございます。続いて、鈴木さん、お願いします。

○鈴木 鈴木です。まず、幾つか具体的な内容を考えるときに、3つほど考えてみました。まず1つは、先ほど西田さんもおっしゃっていましたが、スクリーンリーダーというソフトではなく、そもそも今のiPhoneなどは何も入れなくても設定さえ変えれば、もう勝手に読む。視覚障害者向けに作られたアプリでなくても、一般のユーザーがそれなりに使っているアプリをそのまま読める。Windowsに関しては同じようなものがありますが、それで普通に仕事ができるというところまでは、まだ落ちてきていないので、そこをもう少し何か工夫できないかなということが1つ。

 もう1つは、業務システムが使えないとなったときに、自分なりにその方法を考えるということが問題だと思いますが、企業側からすれば、スクリーンリーダーを入れたのにまだ何か必要なのかと、先ほどお話させていただきましたが、それがあると思うので、企業にそれを求めるのは難しい。そうなると、視覚障害者の支援側の方の相談の充実、支援していただくこと、直接その企業に来てサポートすることというのはできないことが最近は多いですが、せめて相談だけは気軽にできる場を作っていただきたいなと思います。

 あとは、何が問題なのかということを自分自身が認識できるように、常にスキルアップをする必要があるなと思いました。以上です。

○大内 ありがとうございます。続いて、柳田さん、お願いします。

○柳田 柳田です。ICTに関しては、いろいろ本当に考えることがたくさんあるのではないかなと思っています。長期的に考えていかなければいけないことと、今、何とかしなければいけないことというものがあると思いますが、今すぐに何とかならないかなと思っているのは、やはり業務システムのアクセシビリティを何とかするための法律や制度、それからアクセシビリティの高い商品に対して、どこかの機関が表彰する、若しくは助成金を出す、そういう制度ができるといいのではないかなと思っています。

 視覚障害者は本当にまれな存在というか、理解されにくい存在だなと私も実は思っているのですが、それがゆえに、視覚障害者にどういうシステムがいいのかということも、なかなか理解されにくいと思います。そして、障害者に使いやすいシステムと言っても、実は視覚障害者は置いていかれてしまうということもあります。そのいい例が、障害でつながるSNSというのがあって、障害でつながるSNSと言うのですが、実際にアクセスしてみると「不自由な部位を登録してください」という画面が出てくるのです。視覚障害者がアクセスできないのです。つまり、そのシステムがいけないと私は申し上げているのではなく、そのぐらい障害の中から私たちは抜け落ちてしまう、そういうことがあるのではないかなと思います。やはりそこを解決しないことには、アクセシビリティもなかなか解決していかないのではないかと思います。

 そこで、すぐにできることというか、私たち自身ができることとして、いろいろな所に出ていって積極的に健常者に話掛けるというのは、苦手な人も得意な人もたくさんいると思いますので、できればインターネット上のいろいろなコミュニティに参加して、例えば健常者と自分が同じ仕事をしているのであれば、その同じ仕事の中でコミュニティがありますから、そういうところに参加していって自分はどういう仕事をしている、自分はどういうことに困っているなど、いろいろなコミュニケーションを健常者と積極的に取っていく。もし視覚障害があるために健常者に受け入れてもらえないのではないのかなと思う方は、一時的にそのことは話さずに、ある程度仲良くなってから話すということもいいのではないかなと思います。とにかく健常者とたくさんコミュニケーションを取って、私たちの宣伝をしていくといいのではないでしょうか。少しでも理解してもらえるようにするということが大事なのではないかなと思っています。

○大内 ありがとうございました。長期的に見ることと、短期的に見るというか対応することを、切り分けて考えていったらいいのではないかということですね。

 今、お三方からお話を伺いましたが、まず長期的には、視覚に障害がある人や様々な障害のある人が、1つのシステム、1つのソフトウェアの中できちんと完結するというようなものになっていくことが理想だと思うのですが、そこにいくまでにはまだまだプロセスが必要かなと。

 例えば、ちょっと教育の話になって恐縮ですが、今、デジタル教科書というのが作られて既に使われているのですが、それを全ての人に使えるようにするということになって様々な努力はされているのですが、なかなか難しいところがある。そういうところでも、何て言うのでしょうか、いろいろな取組がなされていて、それからいろいろな課題にぶつかっているわけです。そのようなことを1つ1つ乗り越えていくということで、具体的な対応策が出てくるのかなと。それから、そういうところで取り組んだことをきちんと共有をしていくというか、その中だけで済ませてしまうのではなく、その中のシステムで解決したからそれで終わりというのでなくて、その問題点を広く社会の中で共有していくような仕組みが必要かなと思います。

 チャットのほうで横浜の四方田さんから御意見を頂いています。読み上げさせていただいて、皆さんと考えてみたいと思います。「横浜の四方田と申します。晴眼です。鈴木沙耶さんの提案で、業務用ソフトを視覚障害者が使えるようにと、『スクリーンリーダー開発者』と『業務ソフト開発者』に対応を提案していますが、もう1つ、『アクセシビリティ検証の専門家』への有償の検証を、障害当事者から要望するということがあり得るように思いました。海外でソフトウェア等のSection508対応をできる所であれば、ノウハウはあるでしょう。鈴木沙耶さん含め、興味ある方のお役に立てば幸いです。失礼いたしました。」

 視覚障害の側から、積極的にアクセシビリティの検証をするということに取り組んではどうか、そういうことで、企業等で業務用に作っている社内のいろいろなシステムがアクセシビリティにきちんと適応しているかどうか、問題点を明らかにしたらどうかというような提案なのですが、いかがでしょうか。鈴木さん。

○鈴木 鈴木です。視覚障害者側がアクセシビリティを検証するということは、Web上ではかなり盛んにされています。視覚障害者が実際に職場で、会社が運営しているWebのページのアクセシビリティが問題なくユーザビリティに問題ない状況になっているかということを業務として行っている、そういう方々は何人か知っています。

 Webや一般に市販されているソフトウェアと業務システムの大きな違いということがあって、Webや市販のソフトは相手先として一般のユーザーやお客様を相手にしている。業務システムも契約して使ってもらわなければいけないということは、もちろんあるのですが、それは仕事用に使っているものというところがあるので、そこには多分、視覚障害者はいない。では、どうやって検証するかとなると、実際にこれが新しくなったものですと言って、使うところまで下りてきます、ちょっと具体的に言いますが、Tabを押しても反応しなければ、上下カーソルを押しても反応しない、Spaceも駄目、Enterも駄目、アドオンなどを使っても何だかよく読まないということを、反対側に返す機会がなかなかないのです。では、これはもう使えないからほかの方法を考えようとなってしまって、それをもっと。障害者専門の分野でそういうことは余りやりたくないのですが、もっと企業用の業務システムを作っているメーカーと視覚障害者の立場で検証するほうとのやり取りをする機会をまず作る必要があると思います。

○大内 直接、使っている人との。

○鈴木 はい、そうですね。そうでないと、使えないということが分かっても、ほかの方法を探すほうを優先してしまって、それを改善してもらうということは実際できないのです。そこには専門家を置く必要があると思うのですが、今はそういうことはないと思うので、今後、そういうものを作っていく必要は、もしかしたらあるかもしれないです。

○大内 多分、それもすごく大事なことですよね。四方田さん、御提案ありがとうございました。多分、アメリカなどはADA法などの下で、かなり企業も障害者対応も丁寧にしなければいけないということで、気を使ってやっているのだろうと思います、その気の使いようが、日本の企業ではどうかということですね。そういう流れの中で、有償の検証をきちんとする業者と言いますか、サービス機関が海外にはありますということを四方田さんは提案してくださいました。ですから、障害のある方はちゃんとお金を払ってそういう検証をするという動きを作ってはどうでしょうかという提案かなとも思います。実際に機能すれば、かなりうまく働くのではないかなと感じたのですが、西田さん、いかがですか。

○西田 機関としてこういうものがあれば、もちろん素晴らしいと思います。ただ、それをどう機能させるかというところが、より重大なのかなと感じました。
 今、アメリカの話になりましたが、アメリカにはやはり差別禁止法という強い法律があります。その中で、障害を持っているからといって、それを退けるということはできない。それが法的なものなのか、その結果として道徳的、倫理的、社会的意識というものが形成されて、では一般ユースのものはそうですが、業務システムもそうだという話で、ある意味そういうコンセンサスが社会でも形成されているという土壌があって初めて、こういったものが機能するのだろうなと思います。ではということで、アプローチとしては、上からそういったものを作っていくということでないと駄目なのかと言うと、そうではなくて、やはり草の根的にボトムアップで我々のほうからできることを積み上げていく、そういった過程の中で、そういった機関というものを。順番がどっちからということは問題ではないのかもしれません。登山のルートは複数あるけれども、目指す所、頂点は1つということを考えれば、日本なりのアプローチの仕方というものは、参考にしながら、作っていけるのではないかと感じました。以上です。

○大内 ありがとうございます。柳田さんにも、先ほど短期的な対応と長期的な対応ということで御提案いただきましたが、この四方田さんの提案についてはどう捉えましたか。

○柳田 これは、まずいいことなのではないかと思いますが、その前にやっていかなければならないことがあると思っています。それは、私たち視覚障害者が団体で動いて交渉するということではないかと思っています。

 余り商品名を出すとまずいので、例えば魚ということにしたいと思いますが、魚というグループウェアがあったとします。これは仮の名前です。魚というグループウェアがあったとしますと、その魚のユーザーさんというのは、大企業で使っているとしたら、視覚障害者でもいるのではないのかということを考えたいなと思うのです。視覚障害者で企業で働いている方、是非、そういうことも考えてほしい、そして私も考えたいなと思います。このグループウェアは、ほかの人は使っていないだろうか。もし情報交換の場、実際に鈴木さんが主催されていますが、そういう情報交換の場があったときに、うちもだとなったとします、この魚が使いにくいと。そうなったときに、団体としてのチーム力と言うのか、そういうものがあれば、少しずつお金を出しあって有償の業者さんにこれを検証してもらう。若しくは、そこまでいかなかったとしても、魚というグループウェアを作っている会社さんに直接団体として話をする。多分、1人が突然話をしたとしても、契約している会社さんと話してください、それで終わってしまうので、やはり団体としてそういう話をするということが前提で、これは素晴らしい提案ではないかと思います。

○大内 ありがとうございます。組織的に対応していくということですね。私からもう1つ、皆さんにお聞きしたいこととして、今、組織として対応する、団体として対応していくという提案がありましたが、視覚障害の方で一般企業で働いている方のネットワークというのはどのくらい、今、できているのでしょうか。何かそういった組織などはあるのでしょうか。これは、皆さんに伺ってもいいのかもしれませんね。要するに、どのくらいそこに参加されているのか、どのくらいの率なのかということです。そういう組織として対応できるということであれば、積極的に現在あるものを使っていけばいいのではないかなというところからの発想なのですが。お願いします。

○松坂 タートルの松坂です。視覚障害というのは村組織のようで、まだ一般的に世の中の動きにはついていっていないということで、残念ながら各種団体のつながりが余りないのです。各自の所でやっていて、それがみんな一緒になってやるということがなかなかないので、その辺が課題かなと。

 今の話などでも、やはり情報を早めにつかんで、積極的に新しいものが始まる前というか、始まったときに視覚障害者も入るということが大切だと考えます。iPhoneなどの場合も、結構新しい段階から視覚障害者が関わっていました。最初のiPhoneの場合には、アクセシビリティは設定の中のすごく深い所にあったのです。その中で、おまけみたいな形でアクセシビリティというのは奥底にあったのですが、今では初期画面から出てくるような格好になっています。ですので、やはり今関係ないと思っていますが、新しいものには積極的に参加してもらいたいなという形で、ネットワークとしては余り連携は芳しくないなという形だと思います。

○大内 ありがとうございました。今、Webで参加されている方からかなりの数の手が挙がっていますので、御意見を伺いたいと思います。日視連の竹下会長の手が挙がっていますので、お話いただけますか。竹下先生、よろしくお願いします。

○竹下 竹下です。今日は朝からありがとうございます。今のパネルディスカッションを聞いて、3つだけちょっと申し上げたいと思って発言をさせていただきます。

 まず結論として一番大事なのは、柳田さんが言った組織的に対応することの必要性、これは私は極めて重要な指摘だと思っています。個別の対応ということも当然、私は大事にする必要があると思うのですが、開発過程であれ、さらには既にユーザーの元にあるソフトの不完全性であれ、それらのものを更にアップしていくため、改善していくための動きを組織的にどうやっていくかについては、是非、考える場、あるいは組織として動けるシステムを作っていくことを、今後、皆さんと一緒にできればと思います。具体的な提案も含めて、私も考えますが、あればお願いしたいというのが1点です。

 2点目は、大内先生が少しおっしゃった、ADAを含めた……意見が違うのは、西田さんがおっしゃるように、例えば基本的なソフトの中に、我々が使えるようなアクセシビリティなソフトが基本搭載されているというのは、ADAの問題なのかもしれないけれども、そうではなくて、既に存在するスクリーンリーダーであれ何であれ、それらが完璧であるということは、私自身はあり得ないと……思っています。鈴木さんがおっしゃるように、常に読めないものがある場合に、それをもってADAの問題として考えるのではなくて、それらの事態が発生したときの個別の解決システム、例えば鈴木さんの職場で読めない事態が起こったときに、スクリーンリーダーを開発した所と連絡が常に取れて改善するのか、それ以外の方法で改善するのかという、そういうシステムを作ることが現実的ではないのかと思うので、その点、もし鈴木さんに考えがあればお聞きしたいということが2点目です。

 最後に、事務系の仕事がこの何10年で、今日、報告があったように、大きな前進をしたことは素晴らしいことだと思いますが、それによって視覚障害者が全て事務系の処理を言わば完結できるという発想は危険だと思っています。なぜかと言うと、裏返しに言えば、1つでもできない事態が起こるとやはり駄目だという評価になりかねないからです。そうではなくて、より可能な範囲が広がったということと、そのことによって視覚障害者が単独で1つの業務を完結するということとを混同しないようにして、組み立てた内容を業務の中で効率よくこなしていくことが事業主に理解される、そういう環境づくりが必要ではないかと思うのです。その点で鈴木さんには、そういうトラブルがあったときに職場ではどういう形でそこの理解を得ているのかもお聞きできればと思いました。以上です。

○大内 ありがとうございます。3つ、鈴木さん中心に御質問がありましたが、鈴木さん、いかがでしょうか。

○鈴木 まず御質問に答える前に補足をさせていただきたいのですが、海外の企業で作られたグループウェアについては、こうすればアクセシビリティに対応できますという指針がホーページにきちんと書いてあります。これについては、いろいろな仕組みで、使用する各企業がアレンジしたり、機能を追加したり、ほかのシステムと組み合わせたりしながら使っているので、必ずしもその条件に合うとは限らないのですが、このように設定すればアクセシビリティに対応できますという指針は確かにあります。ただし、これは先ほどお伝えしたように、実際にそのとおりに企業で使えるかと言うと、例えば見栄え重視や使いやすさ重視を考えるときに、どうしても晴眼者のほうを中心に考えなければいけないので、それは実際には使えませんでしたという経験があります。

 先ほど御質問いただいた、使えなかったときはどうするかということなのですが、まず1つは、使えないという状況はありながらも仕事はどんどんやってくるわけで、その対処に時間を割いている余裕がないというのが現状でした。そのため、そのグループウェアを何とかして使うということを考えるよりは、ある程度のところであきらめて、ほかの方法、例えば今回はメールが使えなかったので、メールはグループウェア以外のメールソフトを導入してもらうとか、会議招集やスケジュール管理はできないので、ほかの人にやってもらうとか、そういう方法でしか今はできないです。

 組織として、業務系システムのメーカーにアプローチを掛けるというのは、とてもいい案だと思うのですが、実際に組織を作る段階で専門家や実際に働いている人の声をもっと聞いてほしいと思うのです。それぞれ皆さん個々でいろいろなトラブルに対処されているので、そこの情報収集をもっとやっていただければ、一般企業で事務として働くということに対抗する組織、業務システムに対抗する組織を作るのに役立つかなと思います。

○大内 もう1つ、このICTの活用は進展してきているのですが、全ての業務ということではどうでしょうか。

○鈴木 全ての業務が完璧にこなせるとは思うなというところですね。それについては、一般の企業で働いている事務職は、障害者として働きたいというよりも、普通に職場の一員として働きたいという気持ちが強いように思います、でも実際には、できないところがあるというのが現状で、できない部分をどのようにしてチーム内で連携して補ってもらえるか、逆にチーム内のどの部分を自分の力で貢献して補うことができるかということを考えるのが重要だなと考えています。

○大内 ありがとうございます。3番目の点について、西田さん、柳田さん、いかがですか。

○西田 西田です。発表のほうでも、課題の中で、アクセシビリティというものが本当に理念型として完全に実現して、ICTが完全に使えるようになったら、それで解決かといったときに、むしろそれで本当に健常者と対等に働けるのかというところは大きな課題だということを問題提起して、プレゼンは終わったので、そのことを考えるということなのではないかなと思います。

 もちろん、障害の種類とかその程度によって、そもそもICT、アクセシビリティで解決できないというところもあるし、それがある程度解消されても残る問題というのは絶対にあるのです。だから、その上でどうするかというのは、現実的なところで、仕事というのはやはり一人でするものではないということもありますので、いかにチームというところで補い合って仕事をしていくか。

 やはりどのような人でも、障害の有無に関係なく得意分野、苦手分野、強み弱みというのは絶対にあるわけなのです。障害などがあると、殊更弱みとかできないということにフォーカスが当たりがちだと思うのですが、逆に強みというものをもっと自分で磨いて、この人にしか分からない、この人に聞けば分かるというものを、もし持ち得れば。経済でもそれぞれの優位なものを交換することで利潤が最高になるというような話もあると思うのですが、やはりそのできないところにフォーカスを当てるということとは別に、自分自身の強みをポジティブにいかに伸ばすか、そういったものを組織の中でどう還元していくか。そうすれば、自分の弱い部分は補ってもらう、逆に強みで力を発揮する、それがメンバーというところでチームの中で機能するということであれば、個々の障害ということではなく、チーム全体の最適化ということにも貢献し得るのではないかなということを感じます。ですので、ある意味、社会受容ということを何度も先生がおっしゃられているように、個人の問題というよりは本当に社会としてどうするか、チームとしてどうするかという視点を加味していくことが、非常に重要なのではないかなと感じています。

○大内 柳田さん、簡潔にお願いします。

○柳田 スクリーンリーダーは、確かに完璧ではないのです。ですので、できる限り完璧ではないところはこまめにフィードバックをしていく。そして、組織を作って、スクリーンリーダーのメーカーにもそうですし、ソフトウェアのメーカーにもそうですし、そういったことをフィードバックしていく。例えばiPhoneでもアンドロイドでもそうですが、今はスピーチ、つまりスクリーンリーダーというのは有効にしないと有効にならないのです。しかし、オリンパスのICレコーダーを皆さん御存じかもしれませんが、これはスイッチ入れた瞬間に「音声ガイドを有効にする場合はOKボタン、しない場合は」と音声が出るのです。ですので、音声ガイドというものをしっかりいろいろな人たちに理解していただくことによって、スクリーンリーダーは完璧ではないという状況も分かってもらえるのではないかと。そうしたら、どのようにしていったらそれが完璧に近づくのかということも、健常者と議論するテーブルができるのではないか、ベースができるのではないかと、長期的な視点で考えていく必要があるのではないかと私は思っています。

○大内 ありがとうございました。時間が来てしまって、そろそろまとめて終わりにしなければいけないのですが、お一方、Webで参加していただいてる方に御意見を頂いて、まとめていきたいと思います。石坂様、お願いします。

○石坂 熊本県点字図書館に勤務しています石坂と申します。よろしくお願いします。先ほど何度か話になっていました、企業のほうで……ソフトが使えない場合の問題についてですが、障害者差別解消法の話が出ていました。これが今回、一般企業での対応は難しいということであれば、合理的配慮の問題から、公務員であればこれは解決義務的なものであって、企業は努力義務ですが、今、生じている問題ならば、例えば公務員のほうで使われている業務システムでは、こういった問題は起きないのか、また対応されている状況なのかということが気になりました。その点を教えていただければと思います。

○大内 どなたか分かる方はいらっしゃいますか。障害者の雇用に関して、企業では努力義務のところ、合理的配慮についてです、公的なところでは、義務化されています。柳田さん、簡単に。

○柳田 私の知っている範囲で、周りの方々に聞いた話、それから修了生に聞いた話を総合してまとめますと、システム的に公務員の方々が使っているシステムは、一般企業の方のシステムに比べてアクセシブルかと言われると、NOではないかなと思います。

○大内 ありがとうございます。ちょっと話が横道にそれますが、一昨年辺りから障害者の枠での国家公務員の雇用が始まっているのですが、視覚障害の方の応募は圧倒的に少ないのです。他の障害がほとんどです。なぜそうなのかなと何人かの方に聞いてみたら、どうせ入っても十分な仕事ができないのに応募したくないという感じのことをおっしゃる方が非常に多かったのです。そういうところは、今の柳田さんのお話とつながりそうだとちょっと思いました。もうちょっとで時間なのですが、鈴木さん、簡単に。

○鈴木 鈴木です。正しいことほどきついことはないということで言うと、配慮の余地があるかどうかということを企業に判断させるということ、どう法律的に問題があるから配慮しろということは、イコール関係性もそれなりに悪くなることと、それから、そこまで配慮しなくてはいけないのであれば、そもそも採用しないかもしれないなど、そういう話になっていくのがとても怖いなと思いました。どんな業務系ソフトを選べばいいのかということで、例えば私の場合は本社に視覚障害者が私ぐらいしか勤務していませんので、1人だけのために企業が動くというのはとても現状では難しい。そして、それを法が正しいのだから何とかしてほしいというのは、実際には難しいところであるので、企業に求めること自体はそれなりには可能性は低いと思います。ですので、やはりスクリーンリーダーの開発か、若しくは業務系システムの開発にアクセシビリティの条件を加えることに希望を持ちたいと思います。

○大内 ありがとうございました。それでは、そろそろまとめていかなければいけないのですが、チャットで、先ほどの外部からの検証について、群馬の小川さんから、「既に日本の中でも障害者クラウドソーシングサービスサニーバンクという所で、ウェブアクセシビリティの診断をやっています」という情報を頂きましたので、これを皆様にお伝えしておきたいと思います。

 まとめに入りますが、様々なICTを活用することによって、非常に就労の壁は低くなってきているということは確かだと。しかしながら、まだまだ課題がある。そういった課題については、長期的な対応、それから短期的な対応と切り分けて、きちんと対応していく必要があるだろうということ。それから、個人で動くのはなかなか難しいので、やはり組織的な対応、私は当事者の団体が一致団結してきちんと具体的な提案をしていくということが一番大事、一番近道かなと思っていますが、組織的に対応していくということが大事だということ。それから、個人でできるところは限界があるけれども、やはり強みを磨くという努力は大事だということですね。そのようなことがあったのかなと思います。あと、いろいろありましたが、大きく整理するとそのようなことにつながるのではないかなと思っています。今回、いろいろ出てきた課題等は、今後の展開の中で具体的にいかされていくことを期待してというか、お願いをして、このパネルディスカッションを終わりたいと思います。皆さん、御参加いただきまして、ありがとうございました。

■閉会式

○中西 総合司会の中西です。それでは時間となりました。閉会式です。日本視覚障害者職能開発センターの伊吾田施設長より、閉会の御挨拶をさせていただきます。

■閉会挨拶

○伊吾田 本日は、御多忙の中、ロービジョンセミナーにお集まりいただき、ありがとうございます。今回はコロナの影響があり、初めてオンラインでの参加形式を設けて、何分このような規模でのオンライン開催は初めてですので、至らなかった点もあるかと思いますが、御容赦いただければと思います。ただ、オンラインの参加者も常時220~230の方、これは出入りもされていらっしゃいますが、参加されて、盛況のうちにこれが終えられたというのは、皆様の御協力があってのことだと思います。ありがとうございます。

 当センターの今回のセミナーでは、歴史を振り返る、40周年にふさわしい講演を講演者の方たちにしていただいたと思います。私も知らなかった草創期の時代から、これからの視覚障害の就労のあり方というところまで講演していただいて、今までの積み重ねがあってこのセンターがあるということを痛感しました。

 カナタイプの時代から視覚障害者の議事録作成という職域を切り開いて、次のワープロの時代には「エポックライターおんくん」、パソコンのPC98時代には「でんぴつ」、それからWindowsになってからは、高知システム開発様の御協力の下に「KTOS」による六点漢字入力で、議事録の作成を当センターでは歴史的にやってきています。もう一方の一般就労の部分では、95Readerの開発のところから、職能開発訓練による事務処理科、就労移行支援事業、それから就職させるだけではなく、今は就労定着支援事業も始めさせていただいている状況になっています。これらの事業を展開していけるというのは、本当に御支援してくださる皆様の協力があってのことだと思いますので、これもまた深く感謝申し上げます。

 今は、このようなセミナーの開催の方法もコロナの影響で随分変わってきていて、社会の変革期になってきていると思います。今までもパソコンが出てくる時代やワープロの時代、カナタイプの時代など、時代の変革に沿って、乗り越えて当センターもやってきていますので、こういったことを継承しながらこれからも少しでも視覚障害者の就労に役立つセンターでありたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。

以上